無気力脱出日記

ギターと読書が趣味

本屋レビューその1 くまざわ書店 武蔵小金井店

 本についてのエッセーは数あれど、本屋についてのエッセーはあまり見たことがない。なので、この際自分で書いてみることにした。

 シリーズ化するつもりだが、実際にするかはわからない。単に褒めちぎるだけではつまらないので、批判的な視点も含めながら、自分の考えを洗いざらい書いていこうと思っている。とはいえ、店で本を手に取って読むという経験は本屋でしか味わえないものなので、本屋そのものを否定することはしない。ただの日記のようなものだと思って頂ければと思う。

 

 このシリーズの第1弾として選ぶ本屋としては、いささかマイナーな店を選んでしまった感は否めないが、本屋レビューというアイデアを思い付いたのがくまざわ書店だったので、まずはくまざわ書店からシリーズを始めることにした。とはいえ、全国展開している店なので、本好きなら名前くらいは知っていてもおかしくないだろう。

 本屋にはそれぞれ特色があり、同じ本を買いに行く目的で訪れたとしても、どの本屋で買うかによって、少しずつ経験は異なる。それがこのシリーズを書き始めようと思ったきっかけだ。中でもくまざわ書店は、お客が本を買う経験を大切にしているお店だと感じる。

 くまざわ書店武蔵小金井店の印象は、第一印象から今に至るまで一貫して非常に良い。他の書店に比べて、表紙がディスプレイされている本が多いのが特徴なのだが、そのタイトルを見ながら歩き回るのがとにかく楽しい。タイトルにキャッチコピー的な美しさを持った本が多く、SNS(主にTwitter、じゃなくてX)の読書界隈でバズったり、よく紹介されている本が多い印象がある。大手ほど売り場面積が広くない分、選書にこだわりを感じる。他の中~小規模の本屋のように、ただ売れ筋のヒット漫画やビジネス書を羅列するような余裕のなさは、くまざわ書店からは感じない。

 私は小説や漫画よりも学術書、実用書を読むことが多いので、以下はそれらのコーナーの印象になるが、羅列されている大半は教養書だ。臨床心理学や経済学、批評や社会学、はたまた数学まで、比較的難解な分野の本が多く、実用書はあまりディスプレイされていない。私はこのラインナップの尖りが大好きで、出かけた先の駅にくまざわ書店を見かけたら、必ず入るようにしている。今のところ、どの店舗に入っても失望したことがない。知的好奇心を刺激するタイトルの本がずらりと並んでいて、気になるタイトルの本が1冊もなかったこともなかったと思う。表紙とタイトルを見て回るだけで、思考が一気に渦巻いてくるのを感じられる。加えて、くまざわ書店はディスプレイ本のラインナップが変わるのも早いため、足しげく通うたびに、気になるタイトルの本が新しく追加されている。長い間考え事をしていたり、悩んだまま思考が前に進んでいかない停滞感を感じた時には、ここに来ると必ず何か発見がある。

 これだけ知的好奇心を刺激される場所なので、当然ながら気になるタイトルの本を片っ端から読み漁っていくことになる。本はタイトルだけで面白そうなものが山ほどあるが、中に自分がほしい答えが書いてあるとは限らないので、どれだけほしい本でも必ず1度は目を通すことにしている。しかし、買うべき本を絞っていく作業も、一筋縄ではいかない。

 まず気になるタイトルの本が多すぎる。判断力批判入門、整数論、2050の世界情勢予想、マッキンゼー100年史、ガーデニングPTSDをいかに治癒するか、…などなど、気になる本は枚挙にいとまがない。だが、これらの本を読み進めるための時間も、学業の積み上げも足りていないし、仮に足りていたとしても(そんなことは有り得ないだろうが)、これらすべての本を買ったところで到底読み切れないだろう。なので、自分の仕事や研究対象と重なる分野の本にまずはラインナップを絞る、というのが毎回お約束となっている。

 次に、タイトルが面白い本はプロローグも面白い。なのでプロローグを読み進め、「これはまさに今自分が必要としていた本だ!」と毎回懲りずに感動しては、本論を読み進めて買うのを断念する。というのも、読み進めていくうちに、いろいろな理由で”買うほどではないかなぁ”と感じるからだ。理由としてぱっと思いつくものを以下に挙げてみよう。

・タイトルから想像する内容とずれている、またタイトルの問いに答えられていない

・今の自分には難解すぎる

・プロローグで言いたいことを先に言い切ってしまい、本論はそれの焼き直しと主張の強化にばかり費やされている

・マニアックで不必要な引用やエピソードトークが多い(アメリカのビジネス書にありがち、意外と名著にもある

・冗長すぎる

こうして羅列してみると、じゃあ一体どんな本なら買うのか、と我ながらあきれてしまう。が、好奇心に駆られて手に取る本の多さから考えれば、これくらいの選定プロセスがあるくらいでちょうどいいのだ。昔はとにかく気になるタイトルの本を片っ端から買いまくっていたが、そうしていくうちに、以上のような理由から読むのをやめてしまう経験を散々してきた。しかもそれらの本は、未だに積読として部屋に大量に散乱しているから最悪だ。だから今では、限られた予算で本当に読んでいて楽しい、価値ある本だけを買うようにしている。

 本というのは案外、全ての著作がそれぞれ独自性を持っているわけではない。同じテーマについて異なる角度から切り込んでいる入門書や解説書だけでもかなりの冊数になるし、これは専門性が上がってもそれなりに残る傾向だ。昔、”本の数ほど現実は難解ではない”という感覚になったことがあるが、本の冊数はその分野の巨大さではなく、その分野を知るための登山ルートの多さだと今では解釈している。なので、何かの分野について知りたければ、まずは自分に合った入門書からスタートして、徐々にその分野の本質を取り扱った中心的な書籍にステップアップしていくのがいい勉強法だと思っている。

 ただ、これは言うは易く行うは難しで、そもそも「その分野の中心的な書籍」だけで一体この世に何冊の本があるのか。少なくともすべて読むことなど到底不可能だ。ならば、1冊でもそうした本を読むために、最初から名著を頑張って、多少背伸びをしてでも読むべきだろう、と昔は考えていた。この考え方自体は、難しい物事について知るには必要不可欠なプロセスだ。だがそれしか選択肢がなければ、自力で辿り着けない領域が多くなるだろう。今のようにわかりやすい解説書があふれている時代の読書の方がはるかに面白く、結果として理解度も深まる。なので私は、名著にいきなり挑戦するよりも、自分が読んでいて楽しいか、理解できるかどうかを優先して、本を選ぶことにしている。

 こういう本の選び方をするのに、くまざわ書店は本当にぴったりの場所だ。知的好奇心を刺激するタイトルの本が多いので、読むモチベーションが高まりやすい。また、くまざわ書店にある本は、いわゆる権威的な名著というよりは、もっと柔らかい、解釈の多様性を内包したラインナップが並んでいる。自分の仕事や研究に関連した分野に限定した本しか読まないのは、正直なところ、この本屋との相性は決して良くないのだ。享楽的に思いつくまま、面白そうな本を手に取り続けるのがくまざわ書店の一番いい楽しみ方だろう。ある意味、ブックカフェよりもよほどブックカフェ的だと私は思っている。誰が読むのかわからない定番のお堅い名作名著や、微妙そうな洋書を置物として飾っているだけのブックカフェが少なくない中で、くまざわ書店なら本当に楽しめるブックカフェを作れるのではないか。

 だが、無限にアイデアが生まれてくる場所というのは、裏を返せば、関心が広がりすぎて収拾がつかなくなる場所でもある。明確に勉強したい分野が決まっている場合、むしろジュンク堂のように無機質に、コーナーごとにジャンルが区分けされている本屋の方が逆に没入感は高まるような気がする(ジュンク堂もまた私が非常にお世話になっている本屋なので、続編記事を書いてみたいと思っている)。なので前述した、

「長い間考え事をしていたり、悩んだまま思考が前に進んでいかない停滞感を感じた時」

というのは、実はくまざわ書店よりもジュンク堂の方が良いのかもしれない。毎回、くまざわ書店に大きな期待感を寄せては大量の本を立ち読みしまくって、結局疲れ果ててどの本を買えばいいかわからなくなり、何も買わずに店を出るというのを、実はここのところ繰り返している。やりたいことが明確な人には向いていない本屋なのかもしれない…こんなことを考えていたら複雑な気持ちになってしまい、また例によって何も買わずに店を出たまま、近場のカフェでこの記事を殴り書きしている。

 だが、それでも私はくまざわ書店に行くことをやめられそうにない。一度入ってしまえば、憑かれたように考え事を始めてしまうので、自分が元来、物事を考えるのが好きな人間であることを思い出させてくれる。ここでは考えがまとまるのではなく、広がる。広がった先にはまた別の広がりがあり…というのが、この場所の不毛さであり、面白さでもある。実利を求める人にとっては、どうでもいい本ばかり置いてあるように見えるのかもしれないが、むしろ寄り道を楽しみたい人にとっては、どこまでも寄り道ができる最高のプラットフォームだろう。

 と、ここまで記事を書いて初めて、自分が深夜特急の続編を買いに来たことを思い出した。別にAmazonで買ってもいいのだが、町の本屋が苦境に立たされている今、できるだけ店頭で買うことにしている。はずなのだが、結局考え事に夢中になって買うのを忘れてしまう、なんとも失礼な客になってしまった。今度行くときは、先に会計を済ませてしまってもいいかもしれない。そうすれば、好きなだけ店内でいろんな本を手に取りながら、思索に耽ることができるだろう。