最近、ブログが退屈になってきていた。
理由は単純。上手い文章を書こうとし始めてから一気につまらなくなった。
いつもの悪い癖である。
brokenbraindust.hatenadiary.com
ゲームも、上手くなろうとして嫌になってやめた。
ギターも、上手くなることを自分に課した結果、2年ほど弾くのをやめた。
ブログも、そうなりかけている。
なぜ同じ轍を何度も踏むのか。
その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かったーー。
最近思うこと
ブログの文章とか文体に正解って特にないな、ということに最近やっと気づきました。
何を今更?と思うかもしれませんが、気持ちとして正解がわからない状態って不安なんですよね。
で、どうにかして自分の方向性にアテをつけたいと思い、ここのところは他の人のブログの文章をいろんな視点から眺めるようになっていました。
その結果、みんな大して言葉選びに神経質になっていないことに気付きました。
結局文章は技術より中身なので、興味がある分野の面白い文章は、かなり読みづらくても必死に読むんですよね。
むしろ、あまりに練られ過ぎている文章はビジネス臭かったり、堅苦しかったりして読む気が失せることさえあるのもわかりました。TPOは大事。なんなら勢い大事だなと。ちょっと文章って音楽に似てるような気もしますね。
ちゃんとした文章が必要な場面
ここまで公開した記事ってどれも、
「ブログの運営をどうしていくか」
「どんな文章を書くのが正解か」
みたいな話ばっかりしてるんですよね。真面目か。んなこと考えてどうする。
権威あるメディアに掲載する寄稿であれば、文法や単語選びにはかなり気を使うのはわかります。が、個人ブログでその必要は全くない。
それかアフィリエイトで月10万稼ぎたい!みたいな目標があるなら、それに応じてSEOとかの対策を考えればいいわけで、書きたいことを書くだけの目的なら何書こうが自由です。
結局、正解な文章というのは、ある程度責任の重みがある文章なんだと思います。それはお金だったり権威だったりします。
が、個人の趣味ブログにはなんの責任もありません。
ライターとして名前を出して活動するなら、ポートフォリオになるからちゃんとしなきゃな、くらいじゃないでしょうか。
何故いつも完璧を目指すのか
もう答え言っちゃいましたが正解が分からないのが不安だから、略して不安だから。
今の自分が何をしてるのか、どの位置にいるのか分からない状態ってすごく不安なんですよね。昔から人の評価にいちいち傷つくタイプだったので、完璧を目指せば間違えない、という欲求が強いんだと思います。
もちろん、そのアプローチで上手くいくはずもありません。
完璧を目指すには人生は短すぎるし、物事その気になればなんとでも言えるし、言う奴は言うこと自体が目的みたいなところがあるので、成果物ではなく己の肉体を完璧にするのが正解。
なので、完璧主義を卒業してドウェイン・ジョンソンを目指そうと思います。
こんな見た目のライターに「お前文章下手だな」と言える人はいません。
(多分こんな見た目のライターもいませんが…)
余談
ちなみに、このブログは今のところ、誰からも批判されたことはないです。
友達に感想を聞くために記事のリンクを送りつけても、反応はせいぜい「いんじゃね?」
まあ友達が書いたもんですからね。同じ立場なら多分僕も同じこと言います。
そういうわけなので尚更、ガチガチの文章を書く必要性など皆無だったわけです。めでたしめでたし。
俺は吹っ切れた
このブログは完全に自分の頭の体操用雑記ブログなので、本当に何を書こうが自由ということにようやく気づきました。未来の自分の足を引っ張らない範疇で好き勝手やろうと思います。
逆に言うと、ここで記事をいくら量産したところで本格的な文章を書く練習にはならないこともうすうす悟りました。
まあその時はその時勉強すればいいと割り切って、気張らず楽しくやろうと思います。必要なスキルは必要になった時に身につけるしかないですからね。
それでは。