新年明けましておめでとうございます!
2020年は多くの方にとって波乱万丈の年だったと思いますが、
家から出ずに何かに専念する時間があるという状況を、皆さんはどのようにして過ごしましたか?
私は暇だったのをいいことに(?)年末に突然ブログをはじめてみましたが、案外やってみるといろいろ考えること多いですねブログって。
「別に書きたいこと書けばよくね?」というのは確かにその通りなんですが、内容や読者がどうであれ読んでて普通に面白い文章を書くのって意外とコツがいるというのが最近の発見であり、悩みでもあります。
その辺の話を全部書いてたらキリがないので、今回はですます調とだである調、どっちがどういうケースに向いているのかにテーマを絞りながら、自分の中で整理する目的も兼ねて、この記事を書いています。
ですます調、だである調って何
ですます調は語尾が「~です。」で終わる文体のことを指します。実は僕自身、この言い方は今回この記事を書くときに初めて知りました。
ちなみに正式には敬体と呼ぶそうです。
この文体はより丁寧で謙虚に見えるので、ビジネスや公式ホームページなどのフォーマルな用途はもちろん、その他ネット上の多くの文章はこの形式で書かれていると思います。
一方のだである調は「~である。」で終わる文体のことです。正式名称は常体。
こちらは本や新聞など、比較的内容が高度なメディアで使われているのをよく見かけます。小説や詩もだである調であることが多いですね。
また洋書の翻訳は、児童書でなければ大抵だである調です。ネット上では、書評ブログやアーティストの文章など、普段から本に親和性がある人ほど使っているという印象があります。
ちなみに、両者ともに少し幅があり、例えば語り掛けるような親しみやすいだである調もあります(「~だよね。」や「~かな。」など)。曲の歌詞はこれに該当しますね。話し言葉を少し混ぜるとカジュアルで読みやすい文章になる傾向は敬体も常体も同じです。
では、両者がどういう風に使い分けられる傾向があるか、自分なりに考えてみようと思います。
それぞれの特徴
ですます調
なんといってもですます調は丁寧なので、万人向け、親しみやすいという特徴があります。
また相手に共感するようなスタンスの文を書きやすいです。公式ホームページや公式SNSはもちろん、ブログでもよく見かける文体です。
この記事を書くにあたって私もブログにはどちらが向いているか調べてみたのですが、
”特別な理由がない限りはですます調にするべき、だである調はデメリットが多い”
と言い切っている記事もあったほどです。
確かに、だである調は読み手も書き手も選び、使いこなす難易度が高い印象はあります(この辺の話は後述)。
それに比べてですます調は、とりあえず使い方さえ守れば誰でもある程度以上のクオリティの文章が書けるので、初心者のうちはまず、ですます調で文章を書くことになれた方がいいかもしれません。
また、伝えたいことがあったり相手を説得したい、もしくは相手に共感するようなニュアンスを出したい場合など、読み手を意識した文章では使うメリットが大きい文体だと思います。ただし、内容次第ではかえって不自然な印象を与えることもあるので、万能というわけではなさそうです(この話も後述)。
だである調
一方のだである調ですが、内容が高度であることをほのめかすことができるというメリットがあります。難しい文章は大抵だである調です。
ですます調は人に対して語りかける文体なのに対して、だである調は客観的事実を記述するのに向いており、より内容が事実に即しているという印象を与えます。だである調は説得力がある、とよく言われますが、その大きな理由の一つではないかと思います。なので内容の正確さを重視する専門書や論文は、ほとんどだである調です。
読み手からすると、読み手側に対する意識がですます調より薄く感じるという特徴があり、よく言えば内省的、悪く言うと閉鎖的で非共感的に感じることが多いです。また内容が高度でない場合、中身のなさが露呈しやすいので、総じて玄人向きの文体だと思います。
使う上でのメリット、デメリット
すでに双方のメリットデメリットに関して軽く触れはしたものの、もう少し具体的に深堀りしていきたいと思います。
ですます調のメリット
上述の通り、丁寧、万人受け、親しみやすい、読み手を意識できているなどがメリット。
あとは、身もふたもない言い方ですが文章好き以外の文化圏ではですます調がスタンダードなので、発信内容が読書好きや、エモい文章を求めてる層にフィットしていないならですます調が無難な気はします。
というのも、だである調ってやっぱり威圧的に見えがちだと思うんですよね。本好きならだである調に慣れ親しんでおり、メリット(後述)が認識できているのでそんなに意識せずとも読めるんですが、普段だである調に親しんでいない層からするとだである調=評論家気取り or 自分語り好きそう、みたいな偏見を持たれるリスクは残念ながらあると思います。
ですます調のデメリット
ここまでですます調推しの文章が続きましたが、ですます調にも結構デメリットはあります。
あえて一言でまとめるなら制約が多いです。おおよそ次のような理由によります。
- 語尾の種類が少ない:日常会話でも敬語は正しく使うのが紛らわしく感じる人が多いはずですが、それは文章の書き手にとっても同じで、語尾の形式をいちいち考えるのは結構面倒
- かえって胡散臭くなる:敬語はどうしても建前を書くのに向いているので、本音が見えづらく、筆者が守りの姿勢に入っているように見えることがある
- ネガティブなことを書きづらい:ですます調は無難な内容を書くにはうってつけな反面、逆にネガティブなことを書くと一気にダメな感じになる(語彙力)
他にも堅苦しい、冗長になりやすい、説得の圧が強くなりすぎることがある(情報商材とかビジネス系にありがち)、逆に卑屈な感じに見える時がある(これは逆に個人でブログやってる控え目な人によくある印象)
…などなど、結局内容との相性次第では、特性が裏目に出かねないのは注意しないといけないところです。
特に根っから控えめな人はですます調だとかえって卑屈に見える場合があるので、だである調の方がかえって内省的で謙虚に見える、というのは興味深いと個人的には思います。
この記事の筆者は(この記事の印象だけですが)本当に控えめな方という印象があり、だである調の内省的な特徴がうまく生きていると感じました。
だである調のメリット
だである調は玄人向けと書きましたが、逆に言うと文章に馴染みのある人にとっては強力な武器にもなり得ると思います。
- 本当に文章がうまい人が書くと説得力が出る
- 文化圏によっては(主に読書家のコミュニティですが)ですます調だとかえって舐められる空気感がある
- 詩や小説、身の上ばなし系の文章はですます調だと「誰に喋ってるんだ…」という印象になってしまいかねない
- 語尾が言い切りやすく書くのが簡単なので、自信が感じられる文章になる
ざっとこんな感じでしょうか。総じて自分の文章力にある程度自信があったり、高度な内容を扱う場合はだである調に挑戦してみてもいいかもしれません。
逆に、文章の内容を高度に見せるためのハッタリとして使うという手もなくはないですが、これをやって上手くいったケースをあまり見たことがないのでオススメはしません(都市伝説とか陰謀論系のトピックなら面白いかも…)。
ちなみにこれは書き手の印象ですが、語尾をいちいち考えずに言い切れるので圧倒的に書きやすいです。
ぶっちゃけここまで敬語で書き通すのに既に結構疲れました。もはや挫折しないためだけにだである調にする選択肢すら少し考え始めているので、おそらく私にはあまり向いてない。
だである調のデメリット
文章力がなければ舐めらるし、あっても上から目線に感じやすいので、圧倒的に文章力もしくは中身があるか、
そもそも批判的な内容を扱う場合以外はあまり使わない方がいいような気はします。
ブログを書くという立場で考えた場合、書評や批評、社会問題について扱う文章ならですます調は使いづらいでしょうし、自然とだである調になっていくと思います。
また、内省的に見える特徴を生かして自分語り系の文章をだである調で書くのは一つのテクニックと言えます。
実際noteやTwitterでそういうケースをよく見かけるのですが、内省的な文章を読み手に面白く読ませるのはかなり難しく、
内容が重すぎて読み手が文章の温度感についていけない、
本人にとっては深刻でも読み手にはそれがわからない、
いわゆる読み手が置いてきぼり状態になりやすい気がします。まあ、書き手と似たような境遇の読み手をグイグイ引き込んでいくという手法としては良いかもしれません。
結論
まとめると、
- ですます調→想定読者像がはっきりしている、人に何かを伝える内容の文章
- だである調→学問的、客観的、もしくは内省的な内容の文章
に選ぶのが良いのではないか、というのが私なりの結論です。どちらが良いかと言うよりも、そもそも自分がどういう文章を書きたいかによって自然と決まってくるのが文体の特徴かもしれない、とこの記事を書きながら思いました。
結局、ブログは人が書いて人が読むので、読み手との距離感を考えながら内容に合った文体を使うのがベストという、ありきたりながら妥当な結論に落ち着きましたね。
このブログでの運用としては、読書や自分語り系の記事はカジュアルなだである調、誰でも読み得る普遍的な内容や音楽などのトピックに関してはですます調でしばらく様子を見ようと思います。ただ前述した通り、ですます調って結構書いてて疲れるのでそのうち文体変わるかもしれません。しばらくは方向性を模索する時期が続きそうです。
余談
ちなみに、この記事を書くにあたってひとつ、個人的に興味深い記事を発見しました。
このブログを見るとわかるんですが、だである調なのにあまり威圧的な感じがしないんですよね。
なぜそう見えるのか少し考えていたのですが、
- プロローグでですます調を使うことでソフトな演出を済ませてある
- 内容が共感的で、威圧的じゃない
- ブログのデザイン自体がカラフルで読みやすい演出になっている
あたりの理由だと思いました。デザインの影響って結構大きいんですねこうして見ると。
内容は一旦さておき、デザイン面で当ブログのサービス元、はてブロについて考えてみると、
- 真っ白なキャンバスのような、内省的で荘厳な雰囲気のデザイン
- ユーザー層がそもそも意識高い
- このブログ、現時点(2021/1/6)ではデザイン全く変更してない
という、さっきのサービスとは真逆なような…
はてなブログ、お前だったのか、どことなく威圧的だったのは…