無気力脱出日記

ギターと読書が趣味

武蔵境カフェくすの樹の跡地にできたスターバックスに遊びに行きました

コロナ禍で2度目の緊急事態宣言が出て、相変わらず遠出しづらいご時世が続いていますね。

私はインドア派を自負していましたが、いざ完全に外出しない生活が続くと、たまには外に出て気分転換したくもなります。

そこで近場のカフェでも漁ってみようかと思い、ここのところ気晴らしに出かけられそうな場所を探していました。

すると、公共交通機関を使わない距離感で、自転車で行ける範囲にいい感じのスターバックスができていたので、早速記事にすることにしました。

 

 

くすの樹がまさかの閉店

かつて五日市街道沿いに、くすの樹というカフェがありました。

junkissa.jp

10代の頃、よくこの辺りを自転車で走っていたのですが、いつ通ってもただならぬ存在感があり、気になっていたお店でした。

夜になるとネオンがついて、外国のような雰囲気を醸し出していたのを覚えています。

しかし、カフェというよりはレストランのような外見から、当時学生だった私のお小遣いでは敷居が高く感じられ、結局行かずじまいのまま自分のなかで”気になる店リスト”入りしていました。

それから随分と時がたち、コロナで緊急事態宣言が出たのを機に地元の気になる店を漁ろうと思い立った時、思い出したのがこのお店でした。

コロナ禍で個人経営の名店がバタバタ潰れている中、あのカフェは無事だろうか…?と一抹の不安を抱えながら、五日市街道をひたはしります。

この辺りだったかな、という場所に到着してみると…

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あれ…?

この写真は7月ごろなのですが、4月に閉店していたそうです。悔しい…

樹齢300年と言われているくすの木だけが、倒されずに残っていたのが唯一の救いでした。

というか、微妙に距離あったのに行った先で撮れた絵が更地って…切なすぎますね今考えると。

結局、一度も行くことができずじまいでしたが、地元の方々に長いこと愛されていたようで、お客さんの入りはかなり良かったそうです。長いことお疲れ様でした。

余談ですが、くすの樹の元店長さんが、Twitterをされていました。

twitter.com

もしまた新しくカフェを始められるのなら、その時は必ず遊びに行こうと思います。

跡地にスターバックスができてた

 それから少したったある日、風の便りで跡地にスターバックスができたことを知ります。

www.fashionsnap.com

正直、跡地にまたカフェができるとは思っていなかったので、少しほっとしつつ、早速行ってみることにしました。

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(生まれて初めて画像加工アプリ使ってみたものの、下手くそすぎて申し訳ない)

 

屋根が高く、窓もガラス張りのモダンな店内に、開放的な空間を生かした店のつくりになっています。

店舗自体はそこまで広くないのですが、屋根の高さや席数の余裕などから、実際以上に広く感じます。

イメージとしては、森の中のロッジのような感じでしょうか。

スピーカーが他の店舗より良いものなのか、BGMがよく響いていました。特別音量が大きいわけでもないにもかかわらず、音楽がよく響きわたっている印象でした。これも屋根の高さを生かしていますね。

今まで入った店舗のほとんどは、ビルのテナントの一角に店舗が入っている形でした。

建物にそのまま店舗が入っているスターバックスに来るのは、もしかすると初めてかもしれません。

私が尋ねたのは夜でしたが、昼は天井から光が差し込み、窓辺には玉川上水が流れているので、景観も良いみたいです。

今度は昼に遊びに行ってみようと思います。

 結構、いい場所を近くに発見して、楽しい時間を過ごすことができました。

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ドライブスルーもやってるみたいで、駐車場が広々としてました。

アクセス

この店舗の正式名称はスターバックス西東京新町店。

スターバックスコーヒー 西東京新町店 - 東小金井/カフェ [食べログ]

おそらく、電車で来られる方はJR中央線武蔵境駅からバスに乗るのが一番近いと思われます。

近くに都内最大の公園である小金井公園があるので、遊んだ帰りに立ち寄ってみるのも良いかもしれません。

東端からなら少し歩けば着きます。

玉川上水の散策ルートの一部としても、良スポットです。都心の喧騒からも離れており、カフェ巡りにもってこいの立地なので、ぜひ遊びに行ってみてください。

それでは。

noteはじめました

ブログを始めてみて思ったのですが、文章を書くのは結構好きかもしれない、と最近思います。

しかし、なんというか書きたいけど書きづらかったり、偏見を持たれそうなテーマもそれなりにあったりします。

なので、そういうトピックはnoteでやることにしました。

note.com


人生論やポエムは、noteの方が受け入れてくれそうな土壌がありそうな気がするのと、そういう記事を書くとこのブログの雰囲気が微妙に濁るような気がしたので、棲み分けすることにしました。

今後は、はてなでは意識高めだったり頭の整理になる記事を、

noteでは自分語り系の、意見や価値観をモロに出す記事を書こうと思います。

そういうパーソナルな話に抵抗がない方や、むしろ共感できそうな方は、noteの方もチェックしていただければと思っています。というか気心の知れた友達にはnoteの方を見せてもいいかもしれません。

 

英語のブログはどうなったかって?それは聞いてはいけない。

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三つもブログを掛け持ちしたところで全部続く気がしない

 

それでは。

メルカリを続けてみて思ったことを書いていく

最近ずっと家にいるので、断捨離がてら細かいものをメルカリに出品しまくっているのですが、

今までゴミとして捨てていた小物とか、一見どう考えても利益が出なさそうなものを片っ端から出品してみた結果、

結構いろんなことがわかって勉強になったので、書いてみようと思います。

ちなみに主に売り手側目線の記事です。

 

 

いつからメルカリやってたの?

メルカリ自体は、実は結構前からやってました。年数で言えば10年ほどになります。

私の場合、楽器類を売ることが多かったです。

というのも、楽器というのは買うとき高い割に、楽器店だとかなりの安値で買い取られることが大半で、それならば、と高額な機材を出品するために時々使っていました。

ですが、本、CD、お土産のキーホルダーなどの、少額であまり利益が出なさそうだったり、本当に買う人いるのか?と思っていた小物類は、最近出すようになりました。

売ったもののジャンル

 楽器類は相変わらず出していますが、他には本、服、オーディオ、CD、キーホルダー、電子機器(パソコンとかkindleとかゲームとか)を売りました。

額は10万オーバーから300円(メルカリで設定できる出品最少額)のものまで様々です。

ちなみに、この記事を書いている現在、全フリマアプリの総取引数は60、総出品点数は20です。メルカリで商売をやる気はないけど、素人がいらない物を売った数としてはそこそこ多い、といったところでしょうか。

わかったこと

結局、売る側がどう思っていようが、結局何が売れるかは売ってみないとわからない、という事実をよりリアルに感じるようになりました

修学旅行のお土産のキーホルダーとか売れるとは全く思っていませんでしたが売れましたし、

逆にMacBookkindleのように、買い手が付きやすそうな有名な品物がなかなか売れないことがあったりします(とはいえ、有名商品は値段さえ妥協すればほぼ確実に売れはします)。

就活の時も思いましたが、結局買い手がつくかどうかがすべてなので、やってみないとわからない、結果オーライなところがある世界だと思いました。

あとは買う人>売る人な商品は売れやすくて値崩れもしにくいです。

私がよく売るものでは、本と楽器は今のところ(2021/2/3現在)出している人は少なく、買う人は多い印象があります。

逆に、服やCD、パソコンなどは出品している人が多いので、めちゃくちゃ安値で買い叩かれがちな気がします。服は使用感のないハイブランドなら売れるものの、それ以外は出品されっぱなしで売れ残っているのをよく見かけます。

ちなみにMacBookは高く売れます。メルカリユーザーのみんなはApple信者になるべき。

 ではもう少し、売るもののジャンルごとに詳しく、感想&攻略法を書いていこうと思います。

・モノによって客層が結構違う

当たり前かもしれませんが、何を売るかによってメルカリに対する印象は変わる気がします。

例えば楽器やオーディオは買う層が主にオタクですが、服や電子機器に関してはそれほどでもなかったり、といった具合です。

同じ電子機器でも、例えばkindlePS4では全然客層が違うとか。

単なる憶測ですが、kindleを買う方は比較的年齢層高めなのに対し、PS4の買い手はおそらくほぼ10~20代、という印象があります。

また男女差も結構あるようで、母親も最近メルカリを始めて食器を売っているのですが、ユーザー層が主婦層なのもあってか、値下げ交渉や細かい質問コメントはそこまで多くないようです。

・オタクを相手にするのは大変だが、買う側の時は見習うべき

おそらくどの分野でも、基本的にオタクは細かい状態や性能を気にしがちです。個人的な経験では特にオーディオマニアは顕著でした。

それに比べると楽器は「使えればOK」という人が多かったです。が、使うのに支障が出るような不具合やスペック、製造年代に関する質問は来ます。

結構、こういう細かいやり取りに消耗して、メルカリを使うのをやめてしまう人は多いかもしれません。しかし、こっちがしっかりと説明するなどきちんと対応すれば、買ってくれるケースもまた多いのがオタク、という印象があります。年齢層高め(あくまで印象の話です)の方にも同じ傾向があると思います。

メルカリは売る側の問題が取り沙汰されることが多いアプリです。買う側の極端な値引き交渉やクレームなども確かに問題ですが、転売や違法出品に比べれば大した問題ではありません。そこまで行かずとも、状態が悪いものを状態良好品として出している人はたまにいると思います。

なので、あなたがもし何かを買うためにメルカリを使う場合、自分が気になることは質問しても良いと思います。

明らかに出品情報に嘘を書いている場合は運営が対処してくれますが、写真にない箇所にちょっと傷が入っていた、みたいな相手の評価を下げるほどでもない点でモヤモヤが残るのはもったいない。

売る側としては、ストレートに買ってくれる人はありがたいですが、やはり取引なので、ある程度の緊張感は必要な気もします。 

結構、この辺しっかりやると商売の勉強になりますね。

・最高の出品タイミングは金曜夜〜日曜日

ほぼ毎日出品していて思ったのですが、買う側の行動としては、金曜夜にコメントして土曜に買う人が多い、という印象があります。というか金曜夜の閲覧数の伸びは結構すごいです。本などはメルカリで買う人がまだそこまで多くないのですが、金曜の夜に出した本は人気作品でもないのに半分くらい売れてびっくりしました。

逆に意外と売れないのは日曜の夜。下手すると平日以下のリアクションのなさ。まあ日曜夜に買い物する気分になる人は確かに少ないかもしれません、翌日仕事ですし。

総じて、出品するのは夜がいいと思います。特に経験上、夜の8~9時に出すと結構閲覧数が伸びる印象があります。

・本は結構売れる

 最近メルカリは「メルカリブックス」というサービスを始めていて、メルカリの売り上げポイントで新品の本が買えるみたいです。

https://www.mercari.com/jp/u/330770608/

ここのデータベースにある本は、出品すると一覧で表示されるので、かなり売れやすいです。

確かに、中古本って古本屋だと店頭で立ち読みされたり、横にある本と並べられて汚れたりするのであまり状態が良くないんですよね。

それに比べれば、1オーナーものは部屋で一度読まれただけならそんなに汚れてなかったりするので、買う側としては結構狙い目かもしれません。

特に、本屋で平積みされているような有名な本は結構高値で売れます。さらに言うなら、ビジネス本は大抵、結構いい値段で売れる傾向があると思います。

具体的には「7つの習慣」「影響力の武器」「金持ち父さん貧乏父さん」あたりは、1000円以上でしたが3日以内に売れました。あと語学の参考書も売れやすいです。

総じて、本は意識が高いものほど売れやすく、値段も付く傾向があります。日頃ビジネス書を読む習慣がある方は、さっさと読み切ってしまってすぐメルカリに出せば、かなり本代を節約できると思います。

ちなみに私はkindle unlimitedも併用して、流行りの本は費用を安く抑えて読むようにしています。

専門書に関しては、そもそも閲覧数が少ないので買われることも少ないです。が、運が良ければ高値でも売れます。

また小説は、流行りのものほど売り手が多くなり、値崩れしがちな印象があります。文庫版が出て競合してしまうのも理由かもしれません。

・小さくて激安なものは普通郵便が安い 

 CDとかキーホルダーは、300円くらいで出してると売れることがちょくちょくあるのですが、

らくらくメルカリ便(メルカリ公式が自動で送料を売り上げから引いてくれる。便利でお得)だと175円取られるので利益がほぼ出ません。

なので、ポストに入るサイズのものは普通郵便で送るのが結局一番安いようです。(匿名配送は使えません。)

まあ、大した利益にならない割に手間なので、小物をたくさん出している人でなければ正直、やる必要性は薄いですが…コレクションを一気に放出したい、と思っている方であれば、知っておいてもいい知識だと思います。出品点数が多ければ、塵も積もればで結構な額になるので。

まとめ

また記事が長くなってしまった。

たかがメルカリされどメルカリ、もっと長いことやっていればさらにいろいろ気づくことはあるんでしょうが、今わかっていることはこれくらいでしょうか。

個人的にオススメしたいのはですね。買う人が多い割に出している人はそんなに多くない気がします。流行りの実用書は特に。

メルカリは出品やメッセージのやりとり、発送手続きなど、日常生活にタスクが入り込んでくるので、躊躇している方も多いと思います。

なので、コロナ禍で外に出れない今、断捨離のついでとしてやってみると良いかもしれません。まあ1000円以下のものとかは、暇でないと労力に合わないので、なおさらですね。

せっかくコロナ禍で家にいる時間が長いので、断捨離がてら、捨てるのが忍びないものは、小遣い稼ぎ程度にメルカリで出品してみてはいかがでしょう?という記事でした。

 

英語のブログ作りました

この記事を読んでいるのは日本人のはずなので、ここで共有することに意味があるかは分かりませんが、一応リンクを下に記載しておきます。

brokenbraindust.hatenablog.com

 

きっかけ

 大学時代、私には仲が良かったフランス人の友人がいました。

当時私は大学生、彼もまた交換留学で日本の大学に来ており、サークル活動で出会うことになります。

今時珍しく70年代のロックに詳しいこともあり、自分と音楽の好みが似ていたのですぐに意気投合しますが、彼は留学期間を無事に終え、フランスに帰国。

その後も日本に彼が来てくれた時にはよく飲んでいたのですが、ヨーロッパと日本では遠すぎることもあり、そう頻繁に会えるわけではありませんでした。

今度会うときはフランスで!と何度も約束してはまた彼が日本に来て飲む、ということを繰り返しているうちにコロナ禍になってしまい、まあコロナ明けたらまた連絡するか〜と思っていた矢先、なんとその彼が来月から東京で働くことになったとの連絡が…!

久しぶりだな!また飲むか!というテンションになったのはいいのですが、帰りの電車で返事を書いていても英文を思い付きません

それもそのはず、英語なんて書くのは久方ぶりです。しかも時代はコロナ禍、お世辞にも飲もうぜ!と言う状況でもない。

英語に関して言えば、リスニングやリーディングの勉強はコロナ禍でも問題なくできたので細々と続けていたのですが、外に出られないのでスピーキングはする機会がありませんでしたし、ライティングはそもそも英語を書く用事(翻訳業務とか)がない限りやることはありません。

結局その彼には説明書のようなドライな文章を送り返し、せっかくの嬉しい気持ちをいまいち伝えきれずになんだかモヤモヤした気持ちを抱えながら、気がついたら電車を10駅乗り過ごしていました。稀に見る集中力を間違ったタイミングで使ってしまった…

なんてことが先日あり、書く練習をしないとダメだ…と、ブログを立ち上げるに至ったわけです。 

英語ライティングのすすめ

英語できるようになりたい!という人で、スピーキングの練習に熱を入れる人は多いと思います。英語ってやっぱり喋れたらカッコいいですからね。

でも意外にライティングは盲点かもしれないと思いました。というのも、日本人同士ですら今はLINEでやりとりする時代です。距離が離れている外国人なら尚更です。

なので書くスキルは大事ですし、スピーキングと違って作業自体は一人でできます(人に見てもらった方が良いのは確かですが)。

なら今日からやろう、と。

日本語のブログを書くのですらかなりしんどい現在ですが、英語の方もたま〜に更新できたらいいなと思っています。これを機にLang8とかの英語添削のサービス使えるようになりますし。前までは気になっててもそもそも文章書く機会がありませんでしたからね。

まとめ

英語のブログは日本語のそれよりはるかに難しい分、書くことに精一杯なので、記事のトピックやSEOなど、余計なことを考える余裕がないのはメリットと言えばメリットかもしれません。

好きなバンドとか、外国人が興味持ちそうなトピックで記事を書けたら最高ですが、当分は短い日記を連投するくらいが精一杯でしょう。

まあ、こっちの活動は今後どうなるかさっぱりわからないので、一応報告だけ、という趣旨の記事でした。それでは。

 

現時点でもらったフィードバックまとめ その1

何記事か書いてみて、人に見せてかえってきた感想をまとめてみました。備忘録です。

  • 長い

ダントツで多かったのがこれ。

原因を考え出すとそれこそ長くなってしまうので割愛しますが、記事を書くときはあまり時間をかけすぎず勢いで書いた方がいい、という友達のアドバイスは正しかったのかもしれません。

確かに改めて他の人の記事を読むと、内容の濃い記事でもコンパクトによくまとまっていることが多いんですよね。

でもここで「読者の立場に立って読みやすい量の記事を…」とかやるとそれはそれで真面目すぎる気もするので、

書きたいこと書いたうえで本筋から外れる文章はがっつり削るくらいでちょうどいいのかもしれません。あとはテーマごとに記事を分割したり。

とはいえ長い記事も小出しに、定期的に書くつもりです。毎回は読む方も書く方もしんどいので…

  • 自分の話をしろ

とにかく完成度の高い記事を書かなければ、と隙がない記事を書いたところで、今んとこ想定読者はあくまで知り合いですからね。

隙がない記事はウェブライターとかがやるやつですね。でも文章書く練習にはなっていると思うのでたまにやります。

  • ハウツー系の記事はSEOに金かけてるやつに勝てなくね

誰でも読みやすい記事を、って気合い入れてるわりにはSEO周りのこと何も知らないんですよね。

少なくとも、ブロガーとして生計を立てようと思ったこともなければその予定も今のところないので、万人受けするような記事を書くスキルはほどほどでいいかもな、と確かに思います。

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今のところこんなところでしょうか。

まだそんな記事数書いてないですが、フィードバックってやっぱり大事ですね。

ちなみにこの記事は書き始めてからまだ15分も経ってませんが、そういう感じでいいかもなーと思ってきました。今はまだ勢いで結構たくさん書けそうですが、そのうち落ち着いてくるものなのかもしれません。

とりあえず今日はそんな感じで。

 

ゲームを一度も買わずに育った自分がSEKIROでゲームを始めてからPS4を売るまでの話

「お前ポケモンやったことないだろ?」

という、ゲーム下手に対する煽りがあるらしい。

逆に言うと、それが煽りとしての意味を持つくらい、ポケモンは日本人なら皆、やったことがあって当たり前のゲームということだ。しかし私は違う。

ニンテンドーがゲームの黎明期〜黄金期の歴史を作っていたまさにその時代をリアルタイムで生きていた私は、本当にポケモンをやったことがない。

プロローグ

 現在興行収入第一位をかっ飛ばしている劇場版鬼滅の刃だが、あまりにも売れすぎたせいか原作やアニメ版の続きであることを知らずに観る人も一定数いるらしい。

そういう人たちの初見でのコメントは結構面白く、原作を知っている立場からすると突拍子もなく感じるコメントもちらほらあった。

原作やアニメを知っている人からすればただの笑い話だが、ことゲームに関していうと私は全くこういう人たちを笑える立場にない。

それこそ伊之助が初めて鉄道を見て「なんだこの生き物!!!」と興奮していたように、自分はここ一、二年を除けば、ゲームに関してはほとんど全くと言っていいほど無知だった。

本当にゲームやったことなかったの?全く?

自分で買った事がなかっただけで、正確にはちゃんとやったことがあるタイトルが2つある。

一つはゲームボーイカラーが発売された時に、友達がいらなくなって貸してくれたゲームボーイのチャルボ55。

もう一つは別の友達が貸してくれたPSP三國無双である。

コンシューマーは本当にこの二つのみ。他のゲームの知識は全て又聞きか、実況動画からのみ仕入れた知識である。

ちなみにチャルボ55を知っている人を私は人生で一度も見た事がない(貸してくれた友達は除く)。10代の時全クリした唯一のゲームなので思い出深いのだが…

なんでゲームやったことないの?

親が厳しくてやらせてくれなかったから、と言いたいところだが、これだけでは実は案外言い訳にならない。

というのも、大学に入ってみてわかったことなのだが、意外と似たような境遇の人は多かった。

しかし、彼ら彼女らにゲーム歴を聞いてみると、案外常識的な範囲でのゲーム歴があることに気づく。

そこで気になってさらに詳しく話を聞いてみたところ、

「ゲーム禁止されてたけど、流石にあり得ないと思って勝手にポケモン買ったら特に何も言われなかった」

「高校受験でいいとこ行けたから高校時代にゲームやりまくった」

などなど、10代を全くゲームに触ることすらなく過ごした人というのは結局ほとんど見たことがない。

ではかく言う私は10代の頃何をやっていたかというと、とにかく音楽に夢中でギターのことしか考えていなかった。

ゲーム自体は高校に入った時点で許されていたが、当時はバイトをしているわけでもなく、少ないお小遣いは全部ギターグッズに使いたかった。加えて、進学校だったこともあってかクラスメイトとの付き合いが非常にドライで、ゲームの話なんてクラスでほとんどしなかったので、ゲーム経験がなくても特に困らなかった。

結局、マンガとゲームがクラスメイトとの話題の中心になる時期は既に終わっていたのだ。それでも話題に登るような有名タイトルは実況動画で知識を仕入れればどうにかなってしまったこともあり、ゲームにもマンガにもあまり興味がないまま、10年以上の歳月が流れた。

「え、セーブデータは?」

そんな自分に突如、人生の冬が訪れた。

その冬は春の顔をしてやってきたが、実際には冬であった。

仕事にも趣味にも挫折し、さらにコロナ禍の流行を2年後に控えていることなど知る由も無かった2018年の前半、ある日のこと。

当時はまだ知り合ってさほど日が経っていなかた友達に、お前もゲームをやらないか、と誘いを受ける。

私の心は煉獄杏寿郎のように熱く燃えてはいなかったので、やらない、とは言えなかった。どうせ暇だしいいかも、と思いPS4を買ってみることにした。

子供の頃はゲームといえばとんでもない高級品に感じたものだが、社会人になり10万円以上するギターやオーディオをそれなりの頻度で買っていた自分にとって、死ぬほど遊べるのに2万円弱という値段はかなりインパクトがあった。

「ゲームはコスパの良い趣味だから節約にもなる」と友達は言った。PS5発売が2年後に控えていることなど当時の自分は知る由もなかったが、名前を聞いたことがあるPS2より2グレードも上がっているから、多分すごいんだろうと思ったのを覚えている。

PS4でどんなソフトが遊べるのかすら当時の自分は知らなかったため、近いうちにその友達のおすすめの ソフト タイトルであるNier:Automataを借りる約束をした。ブルーレイディスクの箱に似ているな、と思いながら円盤を見た俺は彼にこう質問した。「え、でもこれもうお前がやったんでしょ?セーブデータは?」

それを聞いた彼は一瞬、カンブリア紀頃のご先祖様にに思いを馳せるような顔をした後、

現代では円盤にセーブデータを保存しているわけではないこと、そもそも円盤よりもダウンロード版が主流であることを教えてくれた。セーブスロットという概念は俺が子供の時にはあったはずだが、ゲーム機自体買っていないのだから知る由もない。

それから、R1,R2,L1,L2ボタンの存在も教えてくれた。かつて小学校で同級生から借りた中古のゲームボーイ(カラーでもアドバンスでもない)にはついていなかったボタンだ。

新しい出逢いにいろいろと感動していたその頃、同世代の友人は皆、仕事や学業に忙しく、ゲームの話をする人などもうほとんどいなかった。

30代の足音が少しずつ近づいてきていた、26歳の時の出来事である。

フロムソフトウェアが世界で最高のゲーム会社

 私がPS4を買った当時の彼の口癖である。この発言を聞いた他の友達が大抵ゲラゲラ笑い出すのは一旦無視することにした。

どのタイトルから始めるかPS4の知識のない私にはわからなかったので(ニーアは確かまだその友達がプレイし終わっていなかった)、とりあえずその友達が当時ハマっていたSEKIROを買うことにした。

それを見た友達は「お前にはまだ早い」とドン引きしていたが、友達と同じゲームをやって盛り上がるという経験をしたかったので、難易度は正直どうでも良かった。

さて、読者諸氏はそんな難しいゲーム本当にやったのか?と思うかもしれないが、やった。

なぜなら最初のゲームだったので、それがいかに難しいのかピンと来なかったからだ。

死にゲーと呼ばれるフロムである、当然数え切れないほど死んだが、最近のゲームというのはこういうものなんだろう、くらいに当時は思っていた。むろん誤解である。

結果的に梟の親爺戦まで進むことができた私は、ふとこう思った。

「ここまでエネルギー使うならTOEICの勉強したいな…」

ボス戦のたびにYouTubeの攻略動画を何度も見て敵の動きを覚え、攻略法を実践しては復習する…このプロセスはまさに勉強そのものだ。が、それなら英語できるようになりたいかな…と思ったのだった。

こうして私はSEKIROをやめた。そしてゲームが趣味というのは、言うなれば英語が喋れるみたいな特殊スキルで、かなりすごいことなんだなと思った。これも誤解である。

一番好きなゲーム

それから間もなく、友人からNier: Automataを借りた。

結論から言うと実質的にこれが自分にとって初めてのちゃんとしたゲーム体験になった。

サブクエストが豊富なこのゲームで、サブクエストというものの存在を初めて知り、物語を進め、世界観にどっぷり浸かり、結果的に5周(A〜Eエンドまでを1周とした場合)くらいした。トロコンは当然したし、後半になるとやることがなくなってしまい、字幕と音声を全部英語にしてシナリオを全部読むという正気の沙汰ではないプレイをしたりもした。

こんなに一つの作品をやり込むのは後にも先にもおそらくこの作品だけだと思う。故にこのゲームは、今でも自分にとって大切な作品になっている。

その後もいろんな名作タイトルを漁る日々が続いた。また、どうせやるなら英語の勉強も兼ねたいと思うようになり、しばらくは洋ゲー洋ゲーっぽい戦闘モノを漁った。とりあえずいろんなジャンルのゲームを一通りやろうとも思った。Ace Combat5、GTA5、Detroit: Become Human、フリプのUncharted4は通しでやった。立派なゲーマー(?)の誕生である。

コロナ禍で起こったFPSブーム

 そうこうしているうちに、コロナ禍の時代に突入する。

イタリアの市長が「家でプレイステーションをしてろ!」という名言を発したのは記憶に新しい。これにより、人生で初めて友達と、オンラインで、同じゲームをするという体験をする事ができた

え、モンハン?ポケモンすらやったことのない人間を舐めてはいけない。私がクロスプレイという言葉を知ってから、まだ1年も経っていない(多分)。

そんな自分にも世間のブームは容赦無くやってきた。オンラインマルチFPSの大流行である。

正直あっち方面は難易度高そう…というイメージしかなく、自分がやる日が来るとは思っても見なかったのだが、友達の多くに誘われれば断る方が難しい。

そんなわけでやってみたらやっぱり難しい。それもボス相手に必死に抵抗するとかではなくどこにいるかもわからない他人に瞬殺される

これは勉強がいるぞ、と思い必死になって調べた。

決め打ち、凸砂…用語はいろいろ出てくるが、実際はリロードのタイミングすら身につくのに3ヶ月以上かかった。FPSの難しさは体験したことがある人なら誰しもピンとくると思うので、詳細はここでは割愛する。

なんのためにゲームをやるのか

半年もしてくると、それなりに戦えるようにはなってくるのだが、ご存知オンラインゲームというのは上を見ればキリがない世界であり、膨大な時間を捧げた者にのみ栄光が与えられる世界だ。

それなりにゲーム経験がある人間でも絶望するような世界である。

ゲーム歴すらろくにない自分は上位層の厚さと彼らの動きの良さに心底うんざりしていた。友達と同じゲームで盛り上がる体験にもすっかり慣れ、むしろコロナ禍のせいで朝から晩までずっと誰かとゲームをやりながらオンライン通話し、プライバシーなど風呂とトイレ以外になかったような状況で、いい加減ひとりになりたいと思うようになってきた。

この頃、自分は一つ重大なことに気付いた。ゲームってそもそもなんのためにやるもんだっけ?

自分の場合、ゲームをやる目的は当初ゲームをろくにやった事がないという劣等感の解消のためだった。

加えて高スキル=偉いというゲーマー界隈の風潮を真に受けて、ゲームは上手くならなければ意味がないとすら思っていた。そもそもゲームへの入りがフロム信者からだったこともあり、今考えればこうなるのもまあ無理はなかったのかもしれない。

しかし他の人は違う。ゲームは楽しむためにやるものであり、暇つぶしである。

暇つぶしのためにゲームをやり続けた結果としてゲームが上手くなってしまい、既存のゲームに飽きた人間がより楽しい暇つぶしのためにフロムゲーやFPSをやるのだ。

しかし最初からそこを見て育った自分は、そここそが到達すべき高みだと勝手に勘違いしていた。

これは誤解だった。ゲームに高みなど最初から存在せず、最初から最後まで単なる遊びである。

これに気付いた時、既にゲームというものを知らないという劣等感はなくなっており、目的を失った私は完全に心が折れた。以降ゲームを触る時間は激減してしまい、結局PS4はPS5が市場に放たれて値崩れしないうちにメルカリで売ることにした。

発送手続きを終えたのは2020年の大晦日。こうして、ゲームと私とのこじれた関係は、2020年に一度、幕を閉じたのであった。

ゲームを”遊ぶ”という体験

今までの自分はゲームを”遊んだ”というより”勉強した”と言う方が適切だったように思う。

慣れないものの習得には最初は勉強が必要、というのは普遍的な真理だが、ゲームというのは慣れないうちから楽しく遊べるように設計されており、これこそがある意味ゲームの本質であると言える。

言ってしまえば、必死に努力してゲームが上手くなるというのは、心の底からゲームが好きな人を除けばわざわざゲームでやる必要はないのだ。

英会話もプログラミングも、最初は必死に努力して、ある程度身につけた段階でやっと面白くなる。逆に言えば、その未来を信じて努力しきれなかった多くの人は挫折する。世の中の趣味や仕事というのは大抵そういうものだ。

しかしゲームは違う。ゲームは最初から面白い。そもそもそうしないと売れないからそう設計されているし、他の多くのエンタメ作品と同様、そうでないといけない物だ。だからこそ市民権を得ている。

それをよりによって死に物狂いで無理して勉強してしまったというのは、随分損なことをしたな、というのが今の私の正直な感想である。

 

これからは、ゲームを”遊ぶ”体験をしたいと思っている。

現実は大抵過酷だ。どんなスキルも全然身につかないし、身につくまでに人の言うことを必死に聞かなければいけないし、何より楽しくない(特に最初は)。

そうこうしているうちに人は、自分の人生をコントロールできている、という感覚を失っていく。そんな時の最後の砦がゲームなのではないだろうか。

ゲームは、タイトルさえ適切に選べばあなたの努力にちゃんと寄り添ってくれる。逆に言えば、あなたはあなたの努力を肯定してくれる(少なくともそのゲームの中では)ようなゲームを選ばなければいけない、という事でもある。

それこそが、ゲームの正しい遊び方なのかもしれない。

PS4を売ってしまった今コンシューマーゲームは一切持っていないが、そう遠くないうちにNintendo Switchを買おうと思っている。

プレイ予定のタイトルは、マリオとゼルダのブレスオブザワイルド。どちらも日本語で。小学生でもできるタイトルだが、今の自分には必要な”遊び”のような気がしている。

 

余談だが、私にゲームをお勧めしてきたその友達はまさか私がSEKIROをやるとは思っておらず、やるならせめてカービィ64をクリアしてからにしろと言っていたので、彼のアドバイスは正しかったということが2年越しに証明される形となった。

エピローグ

人間は文化的な生き物だ。20代なら誰でも身についていて当たり前のように思われる常識も、どこかのタイミングで皆が文化として身につけたタイミングがあったはずだ。

今日も世間にはいろんな常識や偏見があるが、そのほとんどが立場が違えばひっくり返るようなものだ。特に海外の文化に触れる機会が多い人は、それを痛感することが多いだろう。

今私はこの記事を書きながらTaylor Swiftを聞いているが、Taylor Swiftといえばアメリカでは10代の女の子が聞く音楽である。なぜそれを20代も後半の男が聞いているのかといえば、私が日本人であり、アメリカの常識を身につけていないからだ。つまりアメリカ文化の中でのTaylor Swiftを”通っていない”のだ。

3年後には、おそらく外国人と話す時にはTaylor Swiftのことを「あれはティーンエイジャーの音楽だろう」と談笑していると思う。しかしだからと言って、今Taylor Swiftを聞く体験が無になったわけではない。Taylor Swiftないしアメリカのポップカルチャーを通ったのだ。

多くの日本人にとって、ゲームではおそらくNintendoが近い位置に当たるだろう。今私の周りにNintendoのゲームをやりこんでいる人はほとんどいないが、今PS5を予約したりFPS廃人になっている奴も、かつてどこかでNintendoのゲームを通っているはずだ。その体験を自分もできたらいいなと思っている。

まあ先述の通りカービィ64をやれと言った友達を無視してPS4をやったのは自分なので、これでやっと「友達と同じゲームをワイワイやる」という文化を通ったことになる。

しかし、純粋なゲーム体験という意味ではまだ通っていないゲーム文化がたくさんあると思う。

中でも純粋にゲームを楽しむ、という体験は、すでにたくさんできたもののまだまだ通り足りていない。やっと自分でどういうゲームが好きか、なんとなくピンとくるようになったので、自分でゲームを選び、楽しむという体験を積み重ねていきたい。

そして3年後くらいには「Nintendoはティーンエイジャーのゲームだろう」と談笑しているかもしれない。その頃には、「世の中何やっても上手くいかねぇなー」と文句を言いながら、今難しくて挫折したゲームをPS5でもう一度、やり直せればいいなと思っている。

改めて、ブログの運営方針を真剣に考えてみた話

せっかく始めたブログだし、どう運用するか真剣に考えてみた話を。

  

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本当に徹夜の眠気を誤魔化すためだけに初めてしまったこのブログ、

どんな読者層をターゲットにしているのか、何について書くのか、ブログを書く目的はなんなのか、

全て見切り発車すぎて、その辺が何も見えないまま既に一ヶ月以上が経った今も下書きばかりが増えていき、ろくに更新できずにいる。 

 

brokenbraindust.hatenadiary.com

 

方針を突き詰めてからスタートしてもよかったのだが、

「そういうことを考え始めると結局何もせずに終わる、なんでもいいから勢いで始めてみるのが大事」

と人はいう。確かにその通りかもしれない。このブログを始めたことでなんとなく理解できた。

 

しかし、方向性が見えないまま見切り発車するのが、それはそれで実は結構大変ということも、始めてみてよくわかった。

SNSならまだ良い。とりあえず周りがやってるから、流行ってるからという理由で始めてみても、他のユーザーの使い方を見たり、自分自身で使い方を覚えたりしていくうちに自然と使いこなせるようになっていく。

だがブログに関しては、自分が何を書きたいのか、もっと大袈裟に言えば何を伝えたいのか決めていないと、本当に何もできないらしい。

とりあえずパソコンに向かって文字を打つのを習慣にして、プログラミングやドキュメント作成のハードルを少しでも下げたいというのは、今考えると動機としては具体性に欠ける。

考えていても埒が明かないと思い、ならせめてその悩み自体を記事にしてしまおう、と思って今こうして記事を書いている。

誰に読んでほしいのか

このブログの場合、今のところ想定読者は友達や顔見知りである。

実生活での友達との会話というのは案外、その友達の性格や興味、自分との接点が縛りになる。

まあそれが人と話すことの醍醐味ではある。特に一定以上親しい人とは、その人としかできない会話というのが必ずあるし、その独自性や偶然性が人生に与えてくれる刺激や潤いはとても大きい。

しかし一方で、友達の性格とか興味に関係なく自分がただ話したいだけのことというのもある。

以前までそういう話題は、その話題に興味がありそうな友達にLINEで送ってトークにつなげることが多かったが、LINEはあくまで連絡ツールなので、それなりに返信する義務みたいなものがある。

なのでこっちとしてはただ反応が見たいだけでも、相手からするとタスクとして認識されてしまう

→明らかにめんどくさそうな返事が返ってくる

→結果的に双方にとってのストレスになる

みたいなことが頻発していたような気がする。これでは肝心の友情に亀裂が入りかねない。

そういう話は、届くべき人に届いてほしい、と前から思っていた。

何を書くか

だからこのブログでは、ただ言いたいだけのことを言おうと思っている。

ブログなので、テーマごとにまとまった文章を記事単位に分けてアップロードできるのは実は大きなメリットだ。知り合いが読者なら、興味があるトピックを選んで読めばいいので気が楽だし、そもそも読まない自由がある。

久しぶりにあいつ何してんのか見に行こ、みたいな動機でも、Twitterみたいに話題に連続性がない過去ツイを辿っていく必要もないし、FacebookInstagramみたいにキラキラした投稿がタイムラインに表示されるわけでもない。

字数制限がなく、見出しがあってカテゴリも選べるTwitterがあれば便利だなと思う。少なくとも自分はこのブログを、そういう使い方で続けようと思っている。

つまり話題はなんでもあり、というわけだ。

ブログを書く目的

以上のことを考えてみると、断片的なつぶやきみたいなものをタイムラインに投げるのが主流のSNSと違って、書きたいこと好きなだけ書けてものを書く習慣も身について、文章力上がったり頭の整理になったりするブログって結構いいメディアかもしれないな、と思う。それだけでも始めた価値はあったと思っている。

しかしこれにはデメリットもある。書き手の負担が大きいのだ。

この記事を書いた現在、まだほとんど記事を完成させていないが、すでに相当頭を使った。今まではSNSで衝動的に短文を連投して過ごしてきたのだから当然といえば当然だ。自分の書いた文章をここまで念入りに清書するのは人生で初めてかもしれない。

全体の構成、文章量、言葉選び、改行、内容、細かいところに気を向け始めるとキリがない。何より、頭に浮かんだことをそのまま文字にしただけの文章がここまで読みにくいとは思っていなかった

自分の場合、「割と」とか「結構」のようにふわっとした言葉を要所要所に入れる癖があるのだが、あとで読み返したときにほとんど消した。文章の意味に対して何ら影響力がない上に、印象をぼやけさせるだけで百害あって一利なしだと気づいたのだ。

ちなみにふわっとした言葉をはさむ癖はしゃべっている時にもある。昼過ぎに書いた下書きを読みながら、

「この文章みたいな言葉を聞かされていると考えると、あいつら(※友達)も苦労してるな…」

と変に同情してしまった。次会話するときは気をつけようと思う。

 

文字に起こしてみたらデメリットの方が長くなってしまったが、そこまでしてでも記事にしたい内容は幸運なことにたくさんある。

コロナ禍の今、人と用事を作って会って話すのは難しい。だからこそ、こういう場で言いたいことを言ってしまうというのは結構、いい趣味になると思う。

ここまで色々書いたものの、結局続けてみないとわからないことが多いのが趣味というものなので、とりあえず何か定期的に書くことだけを当面は考えながら、マイペースに続けていきたい。そんなところだろうか。

 

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何の気なしに書き始めた記事だがそれなりの量になった。

とはいえ、ブログの方向性が頭の中で定まった感じがある。

ざっくりと以下に方針をまとめると、

  • 当面の想定読者は自分の知り合い。Twitterの延長みたいな使い方を想定
  • でもあんまり自意識過剰にならずに書きたいことを書く。なぜならブログはSNSと違って読む記事を選ぶ自由読まない自由があるから
  • とはいえブログはインターネット経由で記事を読んでくれる人が沢山いるので、内輪ネタは避ける。記事単独で読まれても楽しめる記事を書く
  • 何より自分が書いてて楽しく、実りがある活動にしたい

月並みではあるが、こんなところだろうか。

 

多くの知り合いと相互のTwitterでこのブログを宣伝したりは今のところしないつもりでいる。

親しい人にはこのブログ俺のやで〜って打ち明けるくらいの温度感で。あとは何かしら経由でこのブログにたどり着いて読んでくれた誰かが読んでも面白い記事が書ければベスト。

まあ、あまり難しいことは考えずにしばらく続けてみようと思う。