無気力脱出日記

ギターと読書が趣味

本屋レビューその1 くまざわ書店 武蔵小金井店

 本についてのエッセーは数あれど、本屋についてのエッセーはあまり見たことがない。なので、この際自分で書いてみることにした。

 シリーズ化するつもりだが、実際にするかはわからない。単に褒めちぎるだけではつまらないので、批判的な視点も含めながら、自分の考えを洗いざらい書いていこうと思っている。とはいえ、店で本を手に取って読むという経験は本屋でしか味わえないものなので、本屋そのものを否定することはしない。ただの日記のようなものだと思って頂ければと思う。

 

 このシリーズの第1弾として選ぶ本屋としては、いささかマイナーな店を選んでしまった感は否めないが、本屋レビューというアイデアを思い付いたのがくまざわ書店だったので、まずはくまざわ書店からシリーズを始めることにした。とはいえ、全国展開している店なので、本好きなら名前くらいは知っていてもおかしくないだろう。

 本屋にはそれぞれ特色があり、同じ本を買いに行く目的で訪れたとしても、どの本屋で買うかによって、少しずつ経験は異なる。それがこのシリーズを書き始めようと思ったきっかけだ。中でもくまざわ書店は、お客が本を買う経験を大切にしているお店だと感じる。

 くまざわ書店武蔵小金井店の印象は、第一印象から今に至るまで一貫して非常に良い。他の書店に比べて、表紙がディスプレイされている本が多いのが特徴なのだが、そのタイトルを見ながら歩き回るのがとにかく楽しい。タイトルにキャッチコピー的な美しさを持った本が多く、SNS(主にTwitter、じゃなくてX)の読書界隈でバズったり、よく紹介されている本が多い印象がある。大手ほど売り場面積が広くない分、選書にこだわりを感じる。他の中~小規模の本屋のように、ただ売れ筋のヒット漫画やビジネス書を羅列するような余裕のなさは、くまざわ書店からは感じない。

 私は小説や漫画よりも学術書、実用書を読むことが多いので、以下はそれらのコーナーの印象になるが、羅列されている大半は教養書だ。臨床心理学や経済学、批評や社会学、はたまた数学まで、比較的難解な分野の本が多く、実用書はあまりディスプレイされていない。私はこのラインナップの尖りが大好きで、出かけた先の駅にくまざわ書店を見かけたら、必ず入るようにしている。今のところ、どの店舗に入っても失望したことがない。知的好奇心を刺激するタイトルの本がずらりと並んでいて、気になるタイトルの本が1冊もなかったこともなかったと思う。表紙とタイトルを見て回るだけで、思考が一気に渦巻いてくるのを感じられる。加えて、くまざわ書店はディスプレイ本のラインナップが変わるのも早いため、足しげく通うたびに、気になるタイトルの本が新しく追加されている。長い間考え事をしていたり、悩んだまま思考が前に進んでいかない停滞感を感じた時には、ここに来ると必ず何か発見がある。

 これだけ知的好奇心を刺激される場所なので、当然ながら気になるタイトルの本を片っ端から読み漁っていくことになる。本はタイトルだけで面白そうなものが山ほどあるが、中に自分がほしい答えが書いてあるとは限らないので、どれだけほしい本でも必ず1度は目を通すことにしている。しかし、買うべき本を絞っていく作業も、一筋縄ではいかない。

 まず気になるタイトルの本が多すぎる。判断力批判入門、整数論、2050の世界情勢予想、マッキンゼー100年史、ガーデニングPTSDをいかに治癒するか、…などなど、気になる本は枚挙にいとまがない。だが、これらの本を読み進めるための時間も、学業の積み上げも足りていないし、仮に足りていたとしても(そんなことは有り得ないだろうが)、これらすべての本を買ったところで到底読み切れないだろう。なので、自分の仕事や研究対象と重なる分野の本にまずはラインナップを絞る、というのが毎回お約束となっている。

 次に、タイトルが面白い本はプロローグも面白い。なのでプロローグを読み進め、「これはまさに今自分が必要としていた本だ!」と毎回懲りずに感動しては、本論を読み進めて買うのを断念する。というのも、読み進めていくうちに、いろいろな理由で”買うほどではないかなぁ”と感じるからだ。理由としてぱっと思いつくものを以下に挙げてみよう。

・タイトルから想像する内容とずれている、またタイトルの問いに答えられていない

・今の自分には難解すぎる

・プロローグで言いたいことを先に言い切ってしまい、本論はそれの焼き直しと主張の強化にばかり費やされている

・マニアックで不必要な引用やエピソードトークが多い(アメリカのビジネス書にありがち、意外と名著にもある

・冗長すぎる

こうして羅列してみると、じゃあ一体どんな本なら買うのか、と我ながらあきれてしまう。が、好奇心に駆られて手に取る本の多さから考えれば、これくらいの選定プロセスがあるくらいでちょうどいいのだ。昔はとにかく気になるタイトルの本を片っ端から買いまくっていたが、そうしていくうちに、以上のような理由から読むのをやめてしまう経験を散々してきた。しかもそれらの本は、未だに積読として部屋に大量に散乱しているから最悪だ。だから今では、限られた予算で本当に読んでいて楽しい、価値ある本だけを買うようにしている。

 本というのは案外、全ての著作がそれぞれ独自性を持っているわけではない。同じテーマについて異なる角度から切り込んでいる入門書や解説書だけでもかなりの冊数になるし、これは専門性が上がってもそれなりに残る傾向だ。昔、”本の数ほど現実は難解ではない”という感覚になったことがあるが、本の冊数はその分野の巨大さではなく、その分野を知るための登山ルートの多さだと今では解釈している。なので、何かの分野について知りたければ、まずは自分に合った入門書からスタートして、徐々にその分野の本質を取り扱った中心的な書籍にステップアップしていくのがいい勉強法だと思っている。

 ただ、これは言うは易く行うは難しで、そもそも「その分野の中心的な書籍」だけで一体この世に何冊の本があるのか。少なくともすべて読むことなど到底不可能だ。ならば、1冊でもそうした本を読むために、最初から名著を頑張って、多少背伸びをしてでも読むべきだろう、と昔は考えていた。この考え方自体は、難しい物事について知るには必要不可欠なプロセスだ。だがそれしか選択肢がなければ、自力で辿り着けない領域が多くなるだろう。今のようにわかりやすい解説書があふれている時代の読書の方がはるかに面白く、結果として理解度も深まる。なので私は、名著にいきなり挑戦するよりも、自分が読んでいて楽しいか、理解できるかどうかを優先して、本を選ぶことにしている。

 こういう本の選び方をするのに、くまざわ書店は本当にぴったりの場所だ。知的好奇心を刺激するタイトルの本が多いので、読むモチベーションが高まりやすい。また、くまざわ書店にある本は、いわゆる権威的な名著というよりは、もっと柔らかい、解釈の多様性を内包したラインナップが並んでいる。自分の仕事や研究に関連した分野に限定した本しか読まないのは、正直なところ、この本屋との相性は決して良くないのだ。享楽的に思いつくまま、面白そうな本を手に取り続けるのがくまざわ書店の一番いい楽しみ方だろう。ある意味、ブックカフェよりもよほどブックカフェ的だと私は思っている。誰が読むのかわからない定番のお堅い名作名著や、微妙そうな洋書を置物として飾っているだけのブックカフェが少なくない中で、くまざわ書店なら本当に楽しめるブックカフェを作れるのではないか。

 だが、無限にアイデアが生まれてくる場所というのは、裏を返せば、関心が広がりすぎて収拾がつかなくなる場所でもある。明確に勉強したい分野が決まっている場合、むしろジュンク堂のように無機質に、コーナーごとにジャンルが区分けされている本屋の方が逆に没入感は高まるような気がする(ジュンク堂もまた私が非常にお世話になっている本屋なので、続編記事を書いてみたいと思っている)。なので前述した、

「長い間考え事をしていたり、悩んだまま思考が前に進んでいかない停滞感を感じた時」

というのは、実はくまざわ書店よりもジュンク堂の方が良いのかもしれない。毎回、くまざわ書店に大きな期待感を寄せては大量の本を立ち読みしまくって、結局疲れ果ててどの本を買えばいいかわからなくなり、何も買わずに店を出るというのを、実はここのところ繰り返している。やりたいことが明確な人には向いていない本屋なのかもしれない…こんなことを考えていたら複雑な気持ちになってしまい、また例によって何も買わずに店を出たまま、近場のカフェでこの記事を殴り書きしている。

 だが、それでも私はくまざわ書店に行くことをやめられそうにない。一度入ってしまえば、憑かれたように考え事を始めてしまうので、自分が元来、物事を考えるのが好きな人間であることを思い出させてくれる。ここでは考えがまとまるのではなく、広がる。広がった先にはまた別の広がりがあり…というのが、この場所の不毛さであり、面白さでもある。実利を求める人にとっては、どうでもいい本ばかり置いてあるように見えるのかもしれないが、むしろ寄り道を楽しみたい人にとっては、どこまでも寄り道ができる最高のプラットフォームだろう。

 と、ここまで記事を書いて初めて、自分が深夜特急の続編を買いに来たことを思い出した。別にAmazonで買ってもいいのだが、町の本屋が苦境に立たされている今、できるだけ店頭で買うことにしている。はずなのだが、結局考え事に夢中になって買うのを忘れてしまう、なんとも失礼な客になってしまった。今度行くときは、先に会計を済ませてしまってもいいかもしれない。そうすれば、好きなだけ店内でいろんな本を手に取りながら、思索に耽ることができるだろう。

旅行0日目のプロローグ

10日という、サラリーマンにしてはまあまあな長期休暇?を頂けたので、西日本へ弾丸旅行に行ってきます。

 

散々なスタートダッシュ

 

今日が初日、というかは0日目。

というのも、三連休の頭と被ってしまい新幹線が取れなかったので、退社後即新幹線で新大阪へ行くことにしました。

帰り道にある神社で、手術を控えた母の健康とこれからの旅の無事を祈り、

駅のトイレでアロハシャツに着替えて、脱いだスーツはコンビニから自宅へ配送し…とここまでは順調だったのですが、

東京駅で新幹線に乗るまであと1時間と少し、カレーでも食べるかと入った店が、まさかの30分経ってもカレーが出て来ない。

仕方ないので、カレーを待たずに無断で店を出て、東京駅に着いた頃にワイヤレスイヤホンのケースを忘れた事に気づくも時すでに遅く、

行きつけで結構好きだったカレー屋のことはなんか嫌いになってしまいました。ケースどうしようかな。

 

そんな極限空腹状態で新幹線に3時間揺られるのもなかなかしんどいなと思い、

今こうして記事を書いてやり過ごすことにしました。

 

旅のプロローグ

 

新幹線は頻繁にトンネルに入るため電波が悪く、動画どころかTwitter…じゃなくてXも開かない。

なので、カバンに詰め込んでいた深夜特急をゆっくり、噛み締めながら読むことに。今書いている文章は結構、その影響を受けていると思います。

本を読むのはかれこれ半年ぶりくらいで、読書好きだったのが信じられないくらい、ここのところは本を読んでいませんでした。

本読むのって結構大変ですね。

仕事柄、普段はGoogleやchatGPTを使って調べ物をすることが多いのですが、

その際、文章なんてほとんど読まずに欲しい情報だけ拾い読みするのが癖付いてしまったようで、

一文一文噛み締めるように読まないと内容が上滑りしてしまうのにうんざりしながら、少しずつ、新大阪までの暇つぶしをしようと思います。

 

と、これを書いている間にもう名古屋付近まで来たみたいです。速い。

とはいえ新幹線は暇すぎて、指のささくれを見た時にテンションが上がるという体験を生まれて初めてしました。ささくれをむけば少しだけ時間が潰せるからです。

向こうに着くのは22:00過ぎ。

果たしてどんな旅になるのでしょうか。

 

個人的な旅行観

 

旅はワクワクしない方が個人的には好きです。

なんとなく行くことだけ決めて、払い終わったチケット代を無駄にしないためだけに惰性で新幹線なり飛行機に乗って、

現地に着いた瞬間のフィーリングに身を任せるのが好きです。

走り回るも休むも自由。自分の気分に嘘をつかない。

荷物はリュックだけ、靴は新調したサンダルのみ。これで荷物から靴下が消えて身軽になり、海があれば足を浸すこともできる。

僕にとって旅は自由そのものなので、行き先の情報はおろか、行った先でどこに行くかすら決めないことが多いです。

だからこそ何が起きるか全くわからないし、それ故に思い出に残る旅ができると思ってます。

一人旅の醍醐味です。

 

おわりに

 

眠すぎてひどくとっ散らかった文章になってしまった。

まあ新幹線の暇つぶしとしては上出来でしょう。

 

新幹線の車内販売って廃止されるらしいですね。さっき来たけど無視してしまった。何か頼めばよかっただろうか…

販売員の方、いつも無視されてつらいとも気まずいとも言えない感じで、なんかいたたまれない気持ちになってしまいました。戻ってきたらアイスでも買おうかな。

スタバで勉強する時代は終わった

タイトルに反して今スタバで作業中です。勉強目的でスタバに来たのはコロナ禍以来久しぶり。

ですが、久々なのも相まってか予想していた体験と違って困惑しているので、作業を中断して急遽記事を書くことにしました。スターバックスさんごめんなさい。

スタバで勉強もうしないかも。理由を列挙していきます。

椅子が硬い

来た瞬間びっくりしたのがこれ。今まで気にならなかったのは若かったからか?

しかもこれはどうも結構前から有名な話だったらしい。

スタバの椅子に座ると痛い理由は居心地悪くして客席回転率を上げるため - 知識連鎖

以前この店に来た時から椅子は別に変わっていないので、昔からこんなかったい椅子で作業していたのかと思うとちょっとびっくり。

周囲を見渡しても、スタバに来てる層って若い人ばっかりですね。まあこれは椅子だけが原因じゃないと思うのですがそれについては後述。

コーヒーが不味い

これも今更?って感じですが。

料理の格言で有名なのが「美味しさのうち味は4割、残りは雰囲気や店のインテリア、着ている人との関係性」みたいなのがありまして。

スタバはお店の雰囲気作りがうまいと思います。どこのお店もめちゃくちゃ清潔だし、立地もZARA並みのこだわりを感じます。

でもスタバって冷静に考えると味微妙ですよね。日本だとフラペチーノとか若い人向けの甘いもの系のイメージ強いですが、コーヒーは基本シャバシャバのアメリカンコーヒーって感じで、甘いカフェオレとか出てくる店ではないんですよね実は。まあそれが好きな方も多いんでしょうけど。

スタバの味の微妙さは海外でも散々ネタにされてて、それもあってか最近リザーブロースタリーっていう本格派お洒落路線みたいなお店をよく見かけます。

www.starbucks.co.jp

以前横浜で飲んだ時は確かに美味しかった。なんか黒ビールのコーヒー版みたいな味だった記憶。

デートスポットとしては最高だと思うので、機会があれば行ってみたい場所の一つです。

店員さんがイカつい

ここで言うイカついって言うのはオラオラとかチャラい系ではなくリア充お洒落系のイカつさのこと。

都心や駅近だとビジネスマンや大学生が大半だったりしますが、やはりメインターゲットはヒエラルキー高めの学生さん(特に女子)だと思います。

そうなると、店員さんも若いイケイケの人が多くなります。

明らかに僕より年下そうで、普通のの会社なら若手扱いされるであろう見た目の人が、中間管理職のようなくたびれた表情で店全体を回しているのを見かけるのはスターバックスだけです。

そもそも薄利多売な業態、学生バイトでもってるようなもんですからね。

 

で、それだけならいいんですよ

問題なのは、店員さんの態度が相手のオシャレ度とか時間帯、その他諸々の要素によって微妙に変わる気がするんですよね。気のせい?だとしたらすいません。

でも同じこと思ってる人絶対いると思う。

例えば、美容院行って日が経ってなくて似合う髪型になってる、服が最近の流行りを抑えられてる、髭やもみあげの手入れがきっちりできてるタイミングと、

髪ボッサボサで服も部屋着プラスアルファみたいな格好してる時だと、店員さんの態度が結構違うんですよ。それも男女ともに。

んなもんスタバに限らんだろってのはその通りなんですけど、日本人って真面目なので、意外と接客態度人によって変えてない気がしませんか?

アパレルですら接客は基本丁寧です。めちゃくちゃダサい格好で服買いに行ったこと何度かあるんですが、意外と店員さんは優しかったです。なんならオシャレな時よりも暖かかったかもしれない。純粋に応援してくれるような感じで、似合う服を全力で一緒に探してくれました。

でもスタバは違う。女子はタイプの男相手には露骨に声のトーン上がるし、男も男で垢抜けない男にはなんか冷たい気がする。テニサーかよ。

なんというか、若者向けの会員制クラブみたいになってる気がするんですよね、スターバックス。1杯500円のカフェだぞ?なんでそんなにドレスコード気にするクラブみたいな雰囲気なんだよ。怖いよ。

まあその分周りにオシャレな客しかいないし、駅前の人多いドトールみたいに臭くないし、雰囲気はおしゃれで周りも意識高い人しかいないから好きですけどね。

でも勉強しにくる人の扱いはぶっちゃけ微妙です。注文の時は接客明るかったのに、3時間くらいガッツリ作業した帰りには店員さんが露骨に冷たくなった経験が何度かあります。

ちなみに以上の傾向は店や店員さんによってかなりばらつきあります。大体23区内の駅近(駅なかではない、ここ地味に重要)か新規オープンの店舗は大体こんな感じで、そこから離れるとこの傾向は薄くなる気がします。

なんで、新しく服買ったり、髪型変えたりした時にどんなふうに見えてるか確認しにくる場所としてはアリかもしれません。

スタバで勉強するな。コメダ珈琲に行け。

以上の要素を加味すると、スタバに向いてるのは

・容姿がある程度以上イケてる学生さん

・パソコン開くのに何故か15分くらいで颯爽と退店するお金持ってそうな若者

・デートの合間に休憩したい人

辺りでしょうか。どれも割とスタバでよく見かけますよね。

スタバは若くて服好きだった時期は楽しかった気がします。チャージが500円のコーヒー1杯で済む会員制クラブだと思えばこんなに楽しい場所もなかなかありません。

が、そろそろ顔にもくたびれが見え始める年齢になった今、以前ほどスタバは自分に対して優しい店ではなくなってしまった気がします。今こうして記事書いてる間に首痛くなってきたし。

スターバックス引退ですね。人はこうやって歳をとってゆく。

これからは外で勉強するときはコメダ珈琲に行きます。あそこはおじいちゃんでも受け入れてくれる懐の深さを感じる。スタバのように鼻につくところがない。そしてコスパもいい。椅子もふかふか。

まあでも勉強するのに最高なのはやっぱ家ですけどね。

以上、多くの人が10年前にスタバが流行った頃に感じていたことを今更気づいて言語化した記事でした。10年前なら見てくれる人いたかもな。今と違ってネットがクリーンな場所じゃなかったし。

余談

この記事の執筆にかかった時間30分強。

前までは「ブログの運営方針がわからない、文章力とは何か」みたいなうじうじした記事を何日も推敲して書いていたことを考えれば見違えるように成長しました。

あと僕の執筆スタイル、地下室タイムズっぽい気がする(この記事だけか)

ああいう下世話な文体が一番自然に出てきますね。

商用でもない、顔出しもアフィリエイトもしないただのブログなんてこんなもんでいいんですよ。ここでは自由にやります。

BraveとかchatGPTとか出てきたしもう誰もネットブラウズしないでしょ(暴論)

【多分そのうち消す】恋愛とバトロワFPSがとにかく嫌いな理由を書いていく

ただの愚痴なのでそのうち消します。が、正直ここに書いてあることは男なら全員思い当たる節はあるのではないかと思ってます。

なぜ恋愛とFPSを同じ記事で書こうとしたかというと、僕が思うところでは恋愛とバトロワFPSはよく似ており、僕はこの両者が共通して持つ性質に心底嫌気が差しているからです。

ちなみにここでの恋愛は男性目線の話ですので、女性は男性の立場から恋愛がどのように見えているのか、面白く読めるかもしれません(一部批判的な論調なので不愉快に感じられたらすいません)。

早速書いていきます。

1. 他分野から独立しており、ゲーム性が強い

恋愛もFPSも、他の分野で積み上げた実績がほとんど役に立たない傾向にあります。

仕事なら勉強やスポーツの積み上げが案外そのまま活きたりしますし、趣味は習い事や努力の経験が得意な人は分かりやすく上達が早い傾向にあります。

 

ところが、恋愛とFPSはあまりこの辺りの積み上げが役に立ちません。

勉強できる人はもともと恋愛は苦手な人が多いですし、スポーツマンも意外とモテるのは10代の頃くらいで、すぐに「汗臭い、暴力的」の烙印を押され敬遠されます。結局モテる人はどういう人かというと、「女慣れしている人」、つまり女性と話す経験値が豊富な人です。

あなたがどれだけ他の分野で素晴らしい成果を出していても、恋愛というゲームに参加した瞬間、女慣れした雰囲気イケメンに大差で負けます。そしてその瞬間、あなたは何が起こったかわかりません。

この感じ、FPSでベテランに瞬殺されて、自分がどう死んだかもよくわからないまま突然試合が終わるあの感じに似てると思いませんか?

例えプロスポーツ選手でもトップ棋士でもこれは同じだと思います。新参者には容赦ない世界です。

 

ちなみにFPSの場合、アクションゲームや格ゲーが得意な人でも苦戦する人は多く、運動神経が良い方が上達が早いかというと意外とそうでもなかったりします。

勉強の経験はある程度生きるようですが、それは努力や忍耐力の強さが間接的に生きるだけで、学校で習ったあらゆることがFPSでは直接役に立ちません。

やはりこちらも「FPSにどれだけ慣れているか」が実力の大部分を占めているように思います。

2. トーナメント方式である

男にとっての恋愛は狙った相手の手札の中から自分が選ばれるためのプレゼン作業です。

恋愛の評価基準、つまりルールを決めているのは基本的に女性であり、プレイヤー(男性)は運営側の決めた基準に従うことを求められます。

また、基本的にフリーの女性は男性に言い寄られていることが多いため、必然的に勝負にならざるを得ません。

しかし、かといって全然ライバルがいない女性ならいいかというとそうではなく、恋愛から縁遠い女性にアプローチする場合その女性の理想の男性像その子の現在の生活と戦うことになります。

これって結構理不尽で、しょーもない男数人から言い寄られている中あなただけがまともだから選ばれた、とかより全然難易度高いです。そもそも無理ゲーなことも多い。

FPSで例えるなら対人か対Botかの違いで、Botの難易度に著しい落差があるようなイメージでしょうか。

恋愛もFPSも、下手だとBot(架空の男)に負けてそのままランク(年齢)だけ上がって何十連敗もし続ける羽目になります。実際そういう人って一定数いますよね。

意外と語られていない気がしますが恋愛ってびっくりするくらい競技性が強いと思います。最初から純愛にこだわってしまうと、ここでまず土俵に上がれなくて退場になるクソゲーです。

3. 才能ゲーである

恋愛もFPSも、得意苦手がかなりはっきり出る傾向にあります。

恋愛なら見た目が微妙だったり陰キャだったりすれば10代の頃は即退場ですし、FPSもアクションゲーム音痴(※私です)ならおそらく一生上手くなることはないでしょう。

また恋愛の場合、ほとんど苦労せず自然にパートナーができる人というのが一定数います。例えば容姿に恵まれている、メンタルが安定している、女兄弟がいる、人との距離の詰め方が自然、などなど。

上記全てに当てはまらない自分からすると恋愛は途轍もない才能ゲーのような感じがします。これを全員が自然にできることを前提に社会制度を考えてはいけないとつくづく思いますね。はっきり言ってめちゃくっちゃ難しいですよ、恋愛。

4.突き詰めると結局運ゲーである

結局恋愛もFPS常勝は無理です。どうしても運要素に左右されます。

止むを得ず接敵した結果漁夫られるみたいなことは恋愛でも割と起こります。具体的には、たまたまあまりお金がないタイミングでいい感じになったからもう行くしかない!と腹を括ってアプローチしたらデートが下手という理由で他の男に乗り換えられるとかね。今週の私です。

あとどこに地雷が埋まってて突然狙撃されるかも分かりませんし、その辺の勘所を掴むのにも時間かかりますよね、恋愛とFPS。心底嫌いです。

結局、努力の積み上げはできるが負けを受け入れられる強靭なメンタルの持ち主しか生き残れないシステムになっている点がよく似ていると思いました。

余談

ここまでひたすら恋愛とFPSをディスりまくりましたが、一方で女性とFPSを批判したいとは実は思っていません

FPSは競技性があるから面白く、ただの的当てゲームならここまで流行ってません。

恋愛に関しては、ここまでつらつらと書いてきた高難易度要素はどれも女性が幸せになるためには必要な要素です。

体格的にも社会的にも男性に圧倒されてしまいがちな女性にとって、安全で情緒が安定した男がパートナーかどうかはQOLに直結します。

積み上げが役に立たないという話も、他分野の功績は結局女性の幸せとはほとんど因果関係がないからでしょう。恋愛で必要なのは礼儀と度胸、そこそこのお金、何よりこれらの基盤となる安定した愛着のみです。これらがあれば少なくとも土俵には上がれると思います。

これらがない人間は余計な苦労をしながら不器用に恋愛を繰り返していくしかありません。そりゃみんな退場するわ。

つまり何が言いたいかというと、ここまで書いてきたクソゲーはそれなりに真っ当な理由で成り立っているということです。なので批判はしません。心底嫌いですが。

まとめ

こうして書いてしまえば案外当たり前のことばっかりだった気がしますが、結局どれも勝負弱く、豆腐メンタルなのが問題という結論に落ち着いてます。

勝負強さって人生において大事ですよね。これがないとひたすら負け続けるか、勝負から降りる人生が待ってます。後者は案外悪くない気もしますけどね。

というか豆腐メンタルだと向いてることって多分何一つないですよね?強くなりたい・・・

急にブログがめんどくさくなった話

気がつけば、もう半年近くブログを更新していない。

理由は話すと長くなるが、一言でいうとめんどくさいからである。

この半年の間に一体何があったのか、その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かったーー。

 

 

シンプルにめんどくさい

一番は結局これ。文章を書くのにこんなに手間がかかるとは思っていなかったというのが正直なところです。

しかし、なぜ急にめんどくさくなってしまったのか、もう少し理由を踏み込んで考えてみます。

テーマが凡庸

ブログを始めた当初、自分が考えていることを文章化することがとにかく楽しかったので、下書きにアイデアを書き殴っていました。

なのでこのブログは公開記事の10倍くらいの下書きがあります。

が、いざ文章として形にしてみるとなんかどれも既視感があるというか…誰かが言っていたことの焼き増し、下位互換のように感じられてしまい、公開する気になれないまま下書きがたまっていき、現在に至ります。

車輪の再発明を恐れるな

とはいえ、世の中で言われているようなことを自分の言葉でもう一度書き直す作業自体は、無駄だとは思いません。

ある意味、それができて初めて本当に自分の中に落とし込めているとも言えます。

www.weblio.jp

インプットだけでなくアウトプットが大事、と言い換えることもできるかもしれません。

凡庸さを自覚しつつも、自分が考えたテーマについてきちんと文章に落とし込むことは、今後も続けていきたいと思っています。

現在溜まっている下書きも、ちゃんと清書して公開するのを目標にしたいですね。

金にならない

結局金かよ!と言われそうですが、

せっかく文章を書くのが楽しいなら、収益化して副業にすれば少しは生活が楽になるのでは?と思い、興味本位も含めいろいろと調べていた時期がありました。

が、その結果わかったことは、

  • ブログで収益化する方法はアドセンスアフィリエイトの2種類ある
  • アドセンスはアクセス数が集まれば儲かるが、単価が低い(≒圧倒的アクセス数が必要)
  • アフィリエイトは商品を紹介して初めて収益になる
  • 紹介して月何万円か以上儲かるジャンルはほぼ決まっている(YMYLと言うらしい)
  • つまり、自分の興味ある分野でブログを書いたとこで儲からない
  • 儲けようと思ったら、既に稼げている分野の切り崩しにかかる必要がある

長くなってしまいましたがこんなところでしょうか。

いわゆるレッドオーシャンというやつです。ポピュラーな題材を扱っている数多のブログの中で頭ひとつ抜けないと稼ぐのは難しいようです。

好きなことして生きていくだのあなたのスキルが金になる、みたいな話がいかに嘘っぱちか改めてよくわかりました。少し大人になれた気がします。

これからのこと

一言で言えば人の目を意識せず書きたいことを自由に書くのを目標にしようという感じです。具体的には以下。

文章で稼ぐという発想は捨てた

まずブログで稼ぐという選択肢は現時点では捨て去りました。

このブログを始めた当初は収益化のことなど1ミリも考えていなかったので、原点回帰と言ってもいいかもしれません。

そもそもはてなやnoteのようなブログサービスは検索上位に表示されづらいことから収益化には不向きで、

かといってワードプレスでわざわざブログを作ったところで、年1万のサーバー代すら回収が現実的でないなら、本当に書きたいテーマがある時に作れば良いという結論に。

ギターが趣味なので音楽についてのブログは近々作る予定ですが、それ以外のトピックはここかnoteにでも書けば良いと思っています。

本音を書く

また、稼ぐ必要がないなら過剰に読者目線を意識したり、アクセスを稼いだりする必要はありません。

よく言われるブログテーマの統一も、アクセスを意識しないなら必要ないでしょう。

そして匿名でもあるので、どれだけダークな話をしようが自分のキャリアに影響はありません。

つまり基本的には何をどう書いても大丈夫だということです(もちろん法や倫理に背くような内容は除きます)。

これからは文体、内容、テーマなど今までより遥かに適当になると思いますが、知ったこっちゃないという心境です。

そんなことより、人間少し前に考えていたことを意外とあっさり忘れてしまうことに気づき、それを記録として日々書き留める重要性を最近は痛感しています。

自分のためだけに文章を書く者だけが、人の心に響く文章を書けると信じています。

いい文章を書こうとしない

いい文章を書こうとして書いた文章は、いいこと言ってやったぜ感のある文章になってしまいがちです。

後で見返したときに恥ずかしくなるので、極力エゴを文章に滲ませないように気をつけたいです。

知り合い向けに書かない

当初このブログは、知り合いに読んでほしいと思いながら書いていました。

が、実際に知り合いに読んでみてもらった結果、あまりにも感想がバラバラで目指す方向性がかえってわからなくなったため、しばらく迷走状態でした。

考えてみれば、友達というのは人間性に惹かれて集まっているのであって、価値観や特技、情報発信に惹かれて集まっているわけではありません。

なので、そもそも顔見知りに向けてインターネットで情報発信をすること自体不向きだと、最近やっと気づきました。

バンドマンならわかると思うのですが、バンドを組んだ時に最初は友達がライブを見にきてくれるのですが、最終的に知り合いの数がゼロになる経験をした方は多いと思います。それに近い感覚です。

まとめ

気がつけばブログ運営についてどうすればいいか世迷言を言いまくるだけのブログと化してしまっている現状ですが、

逆にブログを通して自分の心の迷いが可視化されたようにも感じます。

あまり余計なことは考えずとにかくやってみる、という訓練の場として最適な場所だと思うので、今後ともささやかな応援をよろしくお願いしたい所存です。

現時点でもらったフィードバックその3

フィードバックシリーズその3。

 

 

なんで説明調、啓発風な文体なの?

多分そういう本ばっかり読んでるからです。

あと「ブログ 参考」とかで調べた時に、アフィリエイト目的のブロガーの記事ばっかりヒットするのも原因でしょうね。

ブログ=ブログ風の文体で書くべし、みたいな固定観念があるのかもしれません。頭固いですね。

お前の話をしろ

俺の話してどうすんだと一瞬思ったんですが、個人で好きでやってるブログで、アクセス数増やすのが目的の記事の真似事をしても仕方ないと思うように。

…しかし俺の話ってなんだ。

人によって読んでいる文章は違う

 あと色んな人からフィードバックを受けていて思ったのですが、人によって普段読んでいる文章って全然違いますね

学術記事ばっかり読んでる人、ブロガーの記事を「読みやすいお手本」として提示する人、とにかくマニアックな記事が好きな人…

友達、と言ってもあまりにも文章の好みが千差万別なので、筆者の話に絡めた話でないと全員に届くのは難しいのは間違いなさそうです。

前述の「お前の話をしろ」というのはおそらくそういう意味でしょう。

方針は決まった

ここまで散々フィードバックをもらっておいてなんですが、人にどう見られるか考えながら記事を書くと、余計なことに気を取られて筆が止まるので、このブログは単に普段考えていることの備忘録として使うことにしました。

その代わり、お役立ち記事みたいな文体はやめることにしました。読み手のこと意識するの疲れる。書きたいことを書きたい。なんなら敬語もやめたい。書いてて思ったんですがですます調が苦手です。人に語りかけるような文体は実はもっと苦手。わざわざ苦手なことをやって、努力してるような気がしてたのは非常に馬鹿馬鹿しいですね。

人となりがわかるような記事はnoteに書きます。文章の練習はこっちでしようと思います。

note.com

文筆って素敵な趣味ですよね。

まとめ

今度こそフィードバックシリーズ最後かもしれません。この記事が「フィードバック気にするのやめた」宣言みたいなもんですから。

といいつつ、前回もこういう終わり方したので、1ヶ月後にはまた第4弾やる可能性も…

先のことは誰にもわかりません。

それでは。

高いギターの選び方

現在、断捨離にハマって部屋にあるものを売りまくっています。

brokenbraindust.hatenadiary.com

ギターと読書が趣味の筆者にとって、一番お金を使うのは本と楽器です。

本はちりつもで気がついたら凄い額をつぎ込みがちですが、一冊一冊は安いんですよね。

それに比べるとギターは安くても3万円くらい、高いと30万オーバーはザラな世界です。

そんな高い買い物ですから、一回ごとのインパクトが大きく、失敗した時の金銭的損失も大きいです。

なので、ギターを今まで何十本と買ってきた筆者が、高いギターの失敗しない買い方を、自戒も込めて記事にしてみようと思います。

 

 

憧れのブランドである

意外と大事なのがこれ。

音や使い道が微妙にズレていようが、眺めてうっとりできるならもうその時点で買い物大成功と言ってもいいと思います。

もちろん、本当に憧れの存在に近付くには練習をサボってはいけません。

が、買おうが買うまいが練習する人はするし、しない人はしないと思うので、純粋に欲しい気持ちがあるなら、余計なことは考えずに買ってしまえば良いと思います。

これに対しては、上手くない、練習しない人が高い楽器買ってどうするんだ、という意見もあるでしょう。

楽器というのは弾くために設計、制作されているものなので、これはこれで理解できる考え方です。

が、だからといって、上手くなきゃ高い楽器を買っはいけないわけではないです。最悪、家具として自己満足で買おうが、買い手の自由です。

大事なのは、高い楽器を買って上手くなったと勘違いたり、自慢するのは控えること。まあ、いい楽器って音がいいので、上手くなったような錯覚におちいる感覚もよくわかりますが…

用途を決める

しかし、単に欲しいからという理由で憧れの高いギターばかり買っていたら、お金がいくらあっても足りませんし、練習効率も楽器への投資額に比べて悪くなります。

なので、楽器を買うときは用途を先に決めると、必要以上の買い物をしなくて済みます。

その際、自分で好きに用途を設定してもいいですが、自分の憧れのアーティストがどのブランドのどの楽器を使っているのか、参考にしてみるといいと思います。

自分が憧れている=自分と音楽性が近い可能性が高いので、自分の目指す方向性から大きく外れないはずです。

具体的には、バンドを組んでいるならGibsonFenderスタジオミュージシャンフュージョン系ならSuhrやTom Anderson、邦ロックが好きならPsychederhythmなど。

早弾きが好きな学生さんが無理をしてハイエンドギターを買っているのをよく見かけますが、実際のところIbanezの方が向いているのでは、と思うような使い方をしている人も見かけます。

もちろん本人が好きで弾いているなら全く問題ないのですが、周囲がみんなSuhrを使っているから俺も!と影響を受けてしまっているのであれば、そこは冷静に自分の財布、用途と相談して決めても全く問題ないと思います。

一定期間使ったことのあるモデルである

僕が今までやらかした高い買い物として、いきなり45万のストラトキャスター(スペック的には人生初の組み合わせ)を買ってしまったことがあります。

幸い、そのストラトキャスターは良いギターだったので今も愛用していますが、そのギターを買った後から「こっちの系統の方が俺好みだったな…」と思う瞬間は何度もありました。

安い楽器でも、テレキャスターからはテレキャスターの、レスポールからはレスポールの音がします。なので、まずは安いモデルを使ってみて楽器の特性に慣れてから、本当に自分に馴染む楽器の上位互換を買うのが確実です。

明らかに音が良いと感じる

高いギターあるあるですが、弾いた瞬間に音が良くて感動する瞬間ってありますよね。

そういう楽器なら勢いで買っちゃえ!と言うつもりはないですが、高い楽器でも音が良くて感動できるほどの個体は、実はそんなに多くないです。

なので、音が良いと感じた楽器は、少なくとも好きな楽器だと思うので、買っても愛着が湧いて長く使える可能性は高いと思います。

ただし、前述の通り買ったことがないモデルだったり、用途とずれている場合は、同じ価格帯のいろんな楽器を試してみてから決めるのをおすすめします。

一流プロからのフィードバック経験が豊富

要はプロによる使用経験が豊富なメーカーか、ということです。

この尺度で言えば、歴史の古いGibsonFenderが最強、ということになります。

が、両メーカーとも、長い歴史の中で常に謙虚にプレイヤー目線で楽器を作ってきたわけではありません。

最もプレイヤーの評価をシビアに楽器に反映しているのは、コンポーネント系のメーカー(Suhr, Tom Anderson, Schecter etc)です。

とはいえ最近のGibsonFenderは、プロのシビアな要求に応えて改良を重ねています。なので、両メーカーともアメリカ製のものは、かなりレベルが高いと感じることが多いです。

弾いている時に自分のポテンシャルが発揮できる

平たく言えば弾きやすい、ということです。

しかし弾きやすいだけでなく、フレーズが上手く弾けるか、自分のギターより上手く弾けている感覚があるか、音は良いかなど、高い楽器に対してはよりシビアに相性を見極めても良いと思います。高いですからね。

まとめると

少し長くなってしまいましたが、大まかにいうと以下のようになると思います。

1、オリジナルモデルの歴史が長い(GIbsonFenderRickenbackerなど)

2、ユーザー目線の楽器を作ってくれる(Ibanez、ESP、Schecter、Suhr、Tom Andersonなど)

3、弾いていて明らかに楽しい(相性次第)

といったところでしょうか。

筆者が洋楽好きの人間なので、評価がアメリカ製のギターに寄っているのは否めません。

が、国産の楽器にも素晴らしいモデルはたくさんありますし、何よりコスパがとても良いので、使用経験のないモデルは国産を買うことが多いです。

また国産の楽器は日本人が作っていることもあり、弾きやすいモデルが本当に多いです。

 

なので、私のお勧めルートとしては、

まず国産の楽器を買って練習→本格的に活動するタイミングでアメリカ製

の流れが、予算的にも上達的にもベストなルートと考えています。

アメリカ製の楽器は、リスナー目線からも良い音に感じられる楽器が多い印象があるので、音源を発表したり、ライブで使い倒す方は、アメリカ製のものを買っておけば間違いないでしょう。

 

全体として権威主義というか、プロが使っているもの=いいもの、みたいな記事になってしまいましたが、そういう面は正直あると思います。有名メーカーは正義。

とはいえ、最後は自分が欲しいと思った楽器を買うのが、納得感があって後悔も少ないので、この記事は楽器選びに迷った時に参考にしていただければと思います。

それでは。